著書・学術論文 子どもと咲く花 せんせいのすてき

恩師の思い出④ 先生へ

2019年10月20日

 

修士を卒業するとき、タイミングよく、

学大、埼大、千葉大、横国大連合の、大学院(博士課程)ができた。

どうせなら最後まで、と思い受験した。

すばらしいことに、受験科目に第二外国語がなかった。

学部生の頃、ドイツ語なんてよく取ったね、という感じで、

どうやって取れたのかすら思い出せない。

 

面接試験の日のことである。

私は、どうやって答えるかということよりも、

どうやって「印象」をよくするか、ということしか考えてなかった。

そういうわけで、前日に、たまたま足がきれいに見える座り方、

という番組を見て、これを実践しようと思いついた。

 

さて、挨拶して座る。

前日見た「スチュワーデスの座り方」を実践する。

(私は、とてもアホであった。)

正面には、めちゃめちゃ怖い顔の恩師がいる。

そして恩師は、私に答えられない質問をした。

 

はい?

 

支離滅裂に答える私。

研究室に戻った私は、

ちくしょー。と椅子を蹴った。

 

それを偶然見ていた後輩が、

恩師に、「真実子先輩が、怒ってました。」と報告した。

 

何をしてくれやがる。

 

すると、恩師は「だろうね。」と言ったそうである。

「だろうね、・・・なんだ。」と私は思った。

 

しかし、これは恩師の策略であった。

自分の研究室の学生を特別扱いしない、

むしろ厳しくする方が、周りの先生の印象をよくするはず、

という恩師の読みであった。

 

そして、私が印象操作に選んだ柔らかいイエローのスーツと、

黄緑のスカーフが、紺と黒ばかりの受験生の間で好印象として残り、

さらに、最初に挨拶したのは私だけだったというところで、

高得点をたたき出し、トップに躍り出たそうであった。

 

だが恩師は、受験が終わった次の日のゼミで、

みんなの前で、少しの間無言になり、「残念だった」と言った。

普通、「残念だった」と言われたら、

「落ちた」と思いませんかね。

で、合格発表があっても、

ちっとも報告に来ない私に業を煮やした恩師が怒りだし、

「何をしてるんだとお怒りですよ。」と、まわりから知らされた。

「何をしてるんだって、落ちたんじゃないんですか、」

と思っていたが、結局合格していたんだった。

(考えてみれば、いずれにしろご挨拶に行くもんであろう。)

 

いろんな策略がヒットし、

まさか幼児教育の学生が一番なんてありえませんよね、

と思っている周りの先生の鼻を明かすことになった恩師は、

高笑いをしていた。

 

これは余談だが、

博士論文を書く過程で、歴史だか、哲学だかの先生が、

「この学生の学的素養は、どうなんですか。」

と恩師に言ったらしかった。

つまり、「学問が何かわかってないんじゃないの?」

というようなツッコミである。

これに、恩師は断固怒り狂ってくれたらしいが、

私は内心、「見抜かれてるかも」と思った。

私は、「これ」と思ったことにしか向かわない学生であり、

ときに、恩師のご指導に「ようわからんけど、こんな感じなんかな」

みたいなところがあった。

しかし、修了までには、なんとか学問の全体構造とその必然性が分かり、

事なきを得て、また、1番で卒業したのであった。

これは、成績ではなく、旧姓が岡林で「あいうえお」順だったからである。

隣の心理学の人に、「交換してよ。」と言われたのを覚えている。

私の時代は、博士号を3年でとるなんて、とんでもない!という文化と、

もう、博士はみんな取りましょうね、という新しい文化のはざま期で、

哲学なんかは、ふざけるなよ、という雰囲気が強かったので、

卒業生は一人もいなかった。

よかった、新しい分野で。

 

学生時代の私は、社会の仕組みを理解する頭を持っていない、

超自己中心的な人間であったので、

(家族は、今も全然変わってないというだろう)

恩師のして下さっていたことが、全然わかっていなかった。

 

本当に、感謝しかありません。

先生、寂しくて仕方ありません。

 

 

恩師のおかげ