雨の日の早出。
2歳さんに入る。
SくんとGくんと、お部屋に向かう。
「なんか、眠たい~。」とSくんがいうので、マットを敷く。
だが、寝ることもなく、「粘土したい~。」と言うので、
よっこらせ、と机を取り出し。
場所を尋ねてそこにセットし、机の向きを尋ねて、その通りにし、
それから、粘土用のシートを敷く。
そんな私の、いちいち大変そうにする作業を、
積み木の上で見ている二人。
なんか、雨も上がってきたなぁ。
私は、粘土を出さずに、二人の隣に座る。
すると、
「おばさん。」というので、
「はい。」
と手を上げる。
すると、「おじさん。」だの「うんこ。」だの言い出す。
それで、しばらく笑う。
また「粘土、出して~。」というが、
別に、なくてもよくない?という気持ちと、
晴れてきたな、という気持ちと、
今、粘土を出してもなぁ、と、
いろいろ計算と気分と天気とがごちゃまぜになって、頭をめぐる。
だが、一番は、この何も始めないという緩さがいいなというわけで、
子どもと適当な会話を楽しんでいるうちに、
Aちゃんが登園してきて、
雨が上がって、Aちゃんも外行きたいって言ってるし、
「そと行こうよ、」というと、
大変快く、「うん。」と言った二人であった。
今、これを書いて思い出すのは、私が所属していたある研究会である。
その研究会は、私の恩師が何十年も前に始めていた研究会で、
それぞれの論文を批判してもらう場であったが、
傷口に塩を塗る言葉の応酬を得意とする研究会であった。
私は、武闘派の恩師のもとで素質を伸ばし、
立派な武闘派に育っていたが、この研究会はやりすぎであった。
だから苦手だったかもしんないが、なんともいえん、緩さと豊かさがあった。
なにしろ、始まらないのである。
14;00からといっても、三々五々集まってきて、
雑談ばっかりしていて、結局始まるのは一時間後、
ということがざらにあり、無駄だらけだった。
そして、必ず飲み会がセットだった。
それは、ともかくとして、
始まらない緩さって、
すごくいいな~、
と二歳とお話ししながら記憶がよみがえった。
はじまらないすてき。