その顔は、覚悟に満ち、心臓はバクバクといっているにもかかわらず、
まっすぐと私を見つめていた。
僕は、これからも、かむ。
その顔はそう言っており、
実際に、「またかむ気か」と尋ねる私に、
「うん」とうなづく彼であった。
そこで、長丁場になることを覚悟して、
私は、彼を膝に乗せ、
いかに、友だちをかむことがいけないことか話を始めた。
おひげと尻尾が生えて、ライオンさんになってしまうというと、
なってもかまない、といっていたが、
遠くて広いところに住むことになるから、
もう、お母さんとお父さんには会えませんよ、
というと、それは、嫌だなと思ったらしかった。
ライオンさんになってもいいのは、強いからである。
そう訊くと、彼は「うん」とうなづいた。
結局のところ、友だちに負けないために、
彼はかむという方法を選んでいることが、
長いインタビューの末わかった。
彼の行動には、その他、どこか
水戸黄門的勧善懲悪的侍みたいな雰囲気も感じられる。
負けんために、最高の武器を使って何が悪い。
というわけである。
これは、間違っているが、ある意味、間違っていない。
だから彼は、「これは俺の信念だ」と、私に立ち向かったのである。
これはある種、感動であった。
しかし、それは許されんことである。
世は、サバイバルだが、暴力はいけない。
楽しいことだって、たくさんあるじゃないか。
というわけで、「いかんことは、いかん」と伝え、
プラス、友だちと笑い合えて楽しかった、という場面を、
印象づけていこう、ということになった。
ちなみに、彼はこの長いインタビュー的対話以降、
かんでいない。
なんやわからんけど、この方法は許されんということが、
自分の信念を通した先にあったからではなかろうか。
許されはしなかったが、わかってくれた、
ということも大きいだろう。
小さな身体には、とても大きな心がある。
子どものすてき。