また、言っちゃうんだけど、
今年の生活発表会は辛かった。
当日の朝までかかった、という気持ち。
一番の理由は、もちろん新人が多い現状による。
クラス単位なので、よけいそれが目立つ。
私は、毎日が冷や汗の連続だった。
そうして、できあがったDVDの記録を見たら、
なんか、よかったので、
例年通り、子どもはよい体験をしたんだなと、
心底ほっとした。
それにしても、最期をきちんと締めくくってくれる年長さんに感謝であった。
そんななか、今年は私が園長になって以来初めてのすごいクラスがあった。
なんと、劇の途中で大いにふざけはじめ、
あろうことかピアノまで弾き始めたのである。
そんな子が5人・・・。
さっそく保護者の間でも、大いにうわさになったらしかった。
私も改めてDVDを見て、すごいな、と思った。
もちろん、それは我々の至らなさ故である。
冷静に見てみると、
どうあっても本番の緊張に耐えられなかったであろう子が2名、
あとは、引きずられた形だった。
ありがたいな、と思ったのは、
保護者のみなさんが、
「来年も持ち越すな~。再来年には乗り越えるかな~。」
とか言ってくれたり、
「りす組さいこー!」
と言ってくれたりしたことだった。
子どもの心が本番に追いつかんということも、
あり得ることである。
そして、本番に追いついた子が、
しっかりと劇を支えてくれたことも事実であった。
Rちゃんなんか、女神。
元気な声で、その声をそろえて、
誇らしげに自分を表現していた子どもたちの姿もまた、
目を引いた劇だった。
ふふ。
ここで、「それでも子どもたち、よく頑張ったね。」
で終わらせんのが、我々である。
我々は、誕生会でいろんな出し物をする。
それで3月は、りす組の劇をやることになった。
内容がやりやすいということが8割の理由だが、
あとの2割は、「見ておれよ、りす組」という気持ちである。
完璧にやるというのは、こういうことだと、
見せてやろうじゃないか。
とはいえ、少し内容を変えて、ほし組のラーメン体操とか入れたりして、
小道具もうさぎ組で残っていたのを拝借したりして、構成した。
ところが、それが子どもたちの不興を買い、
うさぎ組が大変ご立腹との情報が入った。
「僕たちのケーキを勝手に使うな!」というのである。
これは、大変にごもっともであったので、
後日謝罪に行った。
園長ドウモトマミコは、子どもたちのブーイングを受け、
「いや、りす組がもう捨てちゃってて、
うさぎ組のケーキがあんまりにもおいしそうだったから・・・。」
と苦しい言い訳ながら心を込めて謝罪した。
そうすると、子どもたちが次々に「いいよ~。」と言ってくれた。
「いいよ~。」って言ってもらうのって、
こんなにほっとするんだ、と改めて思った。
ちなみに、ラーメン体操もなんか取られた感があって、
ぶつぶつ言っていたらしいが、
何を言うか、自分らの先生たちに花を持たすためや、
というわけで、捨て置いた。はは。
それにしても、先生たちの劇、よかったね~。
先生って、表現力豊かだよね、というか楽しそうだったとっても。
子どもたちも大興奮で、最高に盛り上がった。
またしても、私はナレーションを担当したが、
「りす組は見ているかなぁ~。」
という嫌みを間に挟むのを忘れなかった。
それで、劇が終わった後、ある一人に「どうやった?先生たちの劇?」
と尋ねると、話をそらしたので、もう一度同じように尋ねたが、
またもや話をそらしたので、それなりに反省をしているらしかった。
これで、まだ終わらない。
そして最期のすくすくの森の日。
りす組で、もう一度劇を仕掛けようじゃないかということになった。
担任がそれとなく消えてオオカミに変身し、
「このイチゴをあげないからな~。」と登場してみる、
という訳である。
もちろん、劇みたいにそれぞれの役にしたがって、
順番に、というわけではないが、
最期に、全員そろったそうですよ、全員。
それで、オオカミさんが負けて、みんなでイチゴを食べたそうですよ。
この長きに渡る我々の「やれよ。」というメッセージ。
「なんか、しちょかんといかんのやろうな。」という、
ほのかなプレッシャー。
「やれ。」って言われてないのに、
なんか、「やらないかんかも。」と感じること。
これが、コモンセンスじゃないかな~。
来年頑張ろうね。
一緒に。
子どものすてき。