私は、幼稚園の出発点は、囲いの中に入ることだと思っている。
中で自由であっても、外に出ていく自由はない。
それを一番感じるのが、新入児である。
出ていったお母さんの後を追って、外に出たいと思うのは、
当然のことである。
そこで、私と新入児の旅が始まる。
1日目に、ずっと泣き続け、2日目も泣くKくんに、
「外に行きたいの?
お母さん探しに行く?」
と尋ねる。
涙でうなづくKくんを連れて、門を出る。
「まみこ先生は、お母さんのところ知らないから、
Kくんが教えてね。」
というと、Kくんは、勢いよく道を指さす。
だいたい、駐車場で終わるもんであるが、
彼は、そこを通り過ぎて別の方向を指さす。
「む。そうきたか。」
最初は抱っこしていたが、
「ここからは、自分で歩いて。」と言って、
一緒に歩く。
2歳の子の歩調に合わすというのは、
何とも言えん、豊かさがある。
私たちは、同じリズムでずっとずっと歩いた。
彼が私の手をにぎる強さに、私は一体感を感じ、
お母さんを見つけるんだという意志の強さと、
そのために、この手は自分にとって必要なんだという、
そんな思いを感じ取った。
私は、彼のエネルギーに相関する最終地点を計算した。
それは、かなりの距離だった。
時間にして25分くらいかな。
その少し手前で、
「私は、もう行けない。
一人で行って。」と予告する。
「うわーん。」と泣いて、その先に行くと主張する。
そこで、設定した最終地点まで行く。
ここで、「もう、私は行けないから、一人で行ってほしい。」
と言う。
「うわぁ~ん」と泣く彼と押し問答をした末に、
「お母さんはいなかったから、
幼稚園で待っていよう。」というと、
とうとう、泣いてうなづいた。
「それじゃあ、頑張ったからおんぶしようね。」
と言って、おんぶして帰った。
途中で、「帰ったら、お茶飲もうね。」というと、
「うん。」と速攻でうなづいていたが、
そりゃのども乾くであろう、頑張りだった。
本当に、よく頑張ったね。
えらいね。
と言い続けて、幼稚園に帰った。
つづく。