「絵を描くこと」の幸せを、私に教えてくれた子がいる。
それは、その子が年少さんだった時のことである。
彼は、白い画用紙に、クレヨンで絵を描いていた。
しっかりとした線が、彼の言葉と共に、どんどんと紡がれていった。
それは、本当に自由で、楽しそうだった。
そして、その画用紙は、真っ黒になった。
鮮烈で、きらきらとした色合いが、
彼のお話と共に、どす黒く、意味わからんようになったことが、
私には、とても大きな感動だった。
エネルギーを出し切るとは、こういうことではあるまいか?
そして、彼が年長さんになって、卒園式に貼る自画像を描いたとき、
彼は、「いっぱい、色を使う!」と張り切っていた。
私は、その張り切り具合を聞いて、とても楽しみしていた。
そして、案の定、彼の絵は、変な色になっていた。
混ぜ過ぎちゃったわけである。
私は、年少の頃の彼の絵を思い出して、
変わってなくておもしろかった。
そして、いつ、塩梅を見つけて変わるんだろう、
と楽しみだった。
彼が小学校に入ったとき、
なんでも、授業で絵を描くのが嫌だと言っている、
といううわさを聞き、「順調だな」と思った。
彼の自由なほとばしりからしたら、
そりゃ、もちろん嫌であろう。
そんな彼が、小学6年生になる前の春、
タイムカプセルのイベントですくすくの森にやってきた。
遅刻ギリギリで、寝癖があった。
なんか、変わらんなぁと思い、
「絵、描いてるか。」
と尋ねた。
すると、「描いてる。すごく描いてる。ずっと描いてる。」と言い、
「(勉強の)ノートとかに、100以上。」と言った。
詳しくは忘れたが、
そこには、描いてはいけないところに、
とにかくひっきりなしに描いちゃってる自分、
という、どことなく否定的なニュアンスがあった。
私は、なんか、すごく年少さんの頃のエネルギーが、
彼なりの葛藤の中で、ちゃんと息づいていることが嬉しくなり、
「それでええ、それでええ。」と言った。
そして、小学校の絵の時間に絵を描くのが嫌だというのは、
大変正しい、という話をした。
絵は、心赴くままに描くものであり、
決められて描くものじゃない、
君は才能あふれる人なんだ、と励ました。
すると、彼の顔がくっと引き締まり、
今、自分が何を描くのが難しいか、
という話をし始めた。
それは、エヴァンゲリオンの身体であった。
顔は、かくかくなので、むしろ描きやすいらしい。
私は深く共感した。
エヴァの身体は美しい。
それで好きになって、映画に行ったことがあるが、
残念なことに、それが私にとってトラウマの経験となり、
二度と行くか、と心に誓うものであった。
もとい、彼の、その自分が描くものへの、
魂を込めているからこそ生まれているこだわりとプライドに、
頼もしさを感じた。
私に、絵を描く幸せとはどんなことなのか教えてくれた彼が、
これから、どんなふうに絵と共に生きるか、
本当に楽しみである。
卒園児のすてき。