早い梅雨入り。
ぬかるんだ園庭の一部に大きな水たまりができている。
それがおもしろくて掘るので、よけいに大きくなる。
それを、年長さんが補修工事してくれた。
特に、計画があったわけではなかろう。
自然の流れで生まれたその仕事ぶりは、大変にすばらしかった。
土を隅から集める人、運ぶ人、出す人、ならす人、
足でならしたり、スコップで広げたり、
そのつぷつぷの感触を味わいながら、仕事が進む。
思い思いの動きの真ん中には、目的があり、
それは「仕事」であるという心持ちがあった。
それぞれの動きは、全体として一つの音楽を奏でている。
入園してから、
ずっと、自分の思いつきを大切にされ、
自由な時間を享受し、
人とつながることを喜びとする生活を送っていると、
育ちの先として、
生産性を求めるようになるのではないだろうか。
それは、人の役に立つこと、社会生活に位置づくことである。
それは、誇りを生む。
遊びは、自分たちのもので、自分たちで完結する。
ある意味、彼らにとっては絶え間なく、
大人が営む社会生活には位置かない営みである。
彼らの静かな集中ぶりを見ていると、
有意義で有意味なことを、
自分たちはしているんだという誇りが見えた。
最後に、「年長さん、ありがとう。」と声をかけると、
Tくんが、笑顔でそばにやってきて、
「後で、肩揉んで。」と言った。
子どものすてき。