今日は、卒園式だった。
これまでで一番練習する時間がなく、
これまでで一番抵抗勢力が多い学年だったが、
これまでで一番、きりっとしていた。
というわけで、我々の取り組み方も、
それぞれのやる気や不安、緊張に対する傾向と対策も、
自ずと洗練されていくことになった。
そう、抵抗の中身は、不安と緊張が主であった。
その出し方は、「幼児」として自然であり、
命の躍動という意味では、
とても積極的な意味を持っていたと言えよう。
そういうわけで、
今年の命が躍動する抵抗勢力の人数の多さは、
例年に比べダントツであったが、
いつも思っていたことは「付き合いが長い」ということだった。
つまり、ほとんどが2歳児からの皆さんで、
あ~んな小さな頃から生活を共にしてきたから、
なんだかんだいっても、落ち付きどころできちんと落ち着くということを、
互いに違和感なく共有していた。
そういうわけで、本番は常にピシッとキメていた。
その陰には、いつもきちんとしている子どもたちの支えがあったことは、
いうまでもない。
だがのぅ。
小学校でのう。
毎日でのう。
机に座ってのう・・・。
だがしかし、今日の歌声のすばらしかったこと。
子どもたち自身も、そう思ったろう。
元気な心が元気な声となり、響き合い、つながり、
彼らの未来の明るさを象徴するようなすばらしいエネルギーだった。
これを表現できる場として園があったというだけで、
本当に幸せである。
苦労は完全に報われた。
ご卒園おめでとう。
小学校で、頑張ってね。
応援しています。
卒園児のすてき。