ある子に、個人レッスンをしていたときのことである。
ほんの20分程度であるが、数のことであったり、
言葉のことであったり、絵の読み取りであったり、さまざまである。
思考訓練であるので、非常に頭が疲れる。
「今、疲れてるろ。
その頭使うのに慣れんと、先生のお話を聞けるようにはならん。
頑張り。」
というと、心なしか彼の表情が引き締まり、
気を取り直した風があった。
もう、限界かなというところで、
「ほんなら、終わりね。」
というと、「これは?」と言って、別の物にも興味を示す。
それで、少し時間が長くなる。
苦痛そうであるのに、不思議だなと思いつつ、付き合う。
それで、クラスに帰って何を言っていたかというと、
「楽しかった」だそうである。
うーむ。
どう、考えても辛そうやったけどなぁ。
「わからん」を連発していたし。
だが、彼は誰が聞いても「楽しかった」といい、
次の日も、その次の日も、ずっと意欲的だった。
「分かる」ことには、顔を輝やかせ、
「分からん」ことには、「うーん、うーん」と真剣に悩んでいるのが分かる。
先生のお話を聞かない根底には「分からん」がある。
その意味では、聞かないのではなく、聞けないのである。
だが、耳で聞くとはどんなことかとか、
形を読み取るとはどんなことかとか、
絵を描くとはどういうことなのかなど、
感覚的な、あるいは認知的な頭や身体の使い方について、
そのコツや方法がわかると、
子どもは、だいたい自ら羽ばたいていく。
時には、苦手が大得意分野に変わったりする。
やる気を見せるのは、希望を持ったとき。
その子が必要とするちょっとの積み重ねが、大きな未来を作る。
幼児期のすてき。