園長ブログ

子どもと咲く花

保育の醍醐味は、なんといっても先生のものです。

毎日がとても新しくて、きらきらしています。その点、園長といえばお花の世話をするか、えらそうにするか…。

けれど、決まったことがない分、ゆったりとここにいて、あの子、この子に出会えます。

あいまいな存在であるからこそ出会えるあの子のすてき、この子のすてき。

きらりと光る子どもたちの姿を心に留めておきたくて、こうしてコラムを書いてみることにしました。

子どものすてきが、どうか、みなさんに届きますように。

2014.02.20

ライバル・・・年長児

 

生活発表会の季節。

ホールでは、10クラスの子どもたちが入れ替わり立ち代わり、

劇の練習をしている。

時間があれば、色んなクラスが別のクラスの劇を見に行っていて、

これが、とても刺激になるご様子。

 

今日の午後は、あやめ組。

それをばら組が見に来た。

 

その真剣な顔!

分析的視線光線!

「となり、どんなもんかしら、」って見ている。

年下の子たちが年長児を見る姿っていうのは、

こう、口がぼーっとあいているような集中の仕方で、

そのまんま見てますって感じだけど、

同学年で、特に年長にもなると、なんだかとても頭よさそうに引き締まっている。

 

ちなみに、Kせんせいは、子どもに一つ一つを決断させる方式で、

そのため、現段階では子どもたちが非常にうだうだしている。

しかし、来週にはギアがトップに入って、

めまぐるしい発展をしていくだろう。

で、このうだうだの劇展開でも、ばら組の分析的視線は緩まない。

子どもの感覚で、目の前のできごとを見ている。

 

ばら組の劇が、自分たちのものだから、となりのクラスが非常に気になる。

そしてまたあやめ組も、それぞれがうだうだと迷っていても、

それは自分たちの問題だから、じーっと待っているし、

じーっと見つめている。

 

ちなみに、あやめ組の「創作 浦島太郎」は、フィナーレを迎えるために、玉手箱を開けると、また乙姫様やみんなに会えるという大団円的設定だったが、それはいかんとダメ出しする。

浦島太郎は、玉手箱を人間であるがゆえに開けてしまうのであり、時空間を超えた「超越的快楽」を得たものは、その代償を払わなければならない。だから、「浦島太郎」という言葉を使う限り、どうしても、どうあっても、浦島太郎はじーさんにならなければならない、とKせんせいに伝える。

 

というわけで、最後、浦島太郎はじーさんになるわけだが、

このシーンをあやめ組みんなが、とても気に入っているようで、

全員が身を乗り出して、浦島兄弟3人のじーさんぶりに大笑いしながら見入っていた。

 

この感じ。

世界を自分たちで掌握し、まわしている、この感じ。

初めて出会う小さなこの社会を自分たちの手で創っているというこの感覚。

 

初めて出会う社会で、ちゃんと立っている。

 

子どものすてき。