日曜日は、運動会。
毎年、玉入れにはドラマがある。
今年の始まりは、日浦コーチから聞くところによると、
「玉を入れて何か?」ということだったらしい。
つまり、玉を入れることの必然が分からんということである。
玉を多く入れること、
それが勝ちを導くこと、
それが何なのと言われたら、
なんとも言えんね。
この感じ、今の時代的メンタルではないだろうか。
仕事頑張って何か?
勝って何か?
頑張って何か?
そんなわけで、「競う」ということの意味を、
改めて教育的に問い直す必要がある時代に入った我々である。
それで、「競う」ことの価値は、
全力を出すことであると確かめ合う。
その昔、と言ってもほんの去年のことだが、
俊足ツートップの二人が走ったときのことだった。
ゴールまで、全力で走る彼らは、間隣りで全力だった。
息を呑む戦いである。
そして、僅差で、本当にちょっとの差で、Sくんが勝った。
二人は、ゴールしてから自然と目が合い、
そして抱き合った。
これが、目指すところであろう。
全力を出すことで見える世界がある。
全力には、次があり、新しい世界はその先にある。
負けた自分を正しく受け入れられるのは、
全力を出したときだけである。
ぎりぎりの中で、物事は動く。
そんなわけで、「競う」は全力を引き出す最高の装置なのである。
子どもたちには、
「適当にやりよっちゃいかんぞ。
ドラゴンボールの悟空も毀滅の炭次郎も、アンパンマンも、
みんな、もうだめだ~ってところで、前よりも強くなる人たちだ」
と話をしてみる。
そんなこんなで、玉入れは盛り上がりを見せ始めた。
8個、12個、と泣かず飛ばずだったつき組が、
30個を安定的に入れ始める。
ところが、何故か、2個さ、3個さで常にほし組が勝つのである。
つき組が、過去最高を更新しつづけているのに、
ほし組が、僅差で勝っちゃう。
この運命のいたずらよ。
とうとう、Hちゃんが悔しくて号泣を始めた。
座り込んで、泣く。
その目の前に行き、
「あきらめるの?」と尋ねる。
すると、「うん。」とうなづくHちゃん。
「じゃあ、やめたら。」という。
「勝負は、まだある。終わってない。
これは、本番じゃない。」と強調する。
先生の励ましもあり、見事Hちゃんは立ち上がる。
そして、頑張る。
それで、負けちゃうが、彼女は立ち続け、投げ続けた。
こんなことが、全力の先に生まれることである。
自分の感情に向き合い、自分の感情の先を創っていく。
その手助けをすることが、教育じゃないか、
そんなふうに思ったことであった。
本番どうなるかな。
運動会のすてき。