私は、N氏を大変大切に思っている。
N氏は、実際「N」ではないが、Nにしておく。
彼は、思わず手が出るということがちょいちょいあるせいで、
職員室にお入りなさり、時に叱責され、時に沈黙の時間を共に過ごし、
時に一緒に絵を描いた。
したがって、アイデンティティにおいて、
自分に不安を覚えることも少なくなかった。
ただ、愛情深く育っていることで、
存在そのものにおいては健やかであり、独特の華やかさがある。
そして、どこか紳士的でもあった。
そんな彼に変化が見え始めたのは、4歳児の頃である。
だんだんと、何かしでかしても、次がある、
僕はそこで終わりになるわけじゃない、とわかってきたようだった。
そして、やってしまった、という反省から、
やらなきゃよかった、という後悔を経て、
やってしまうんだな、おれって、という腹の据わりに変わった。
そんな自分を受け入れて、それでも頑張ろうとする姿勢には、
どこか決意があった。
何かしでかして、それが何か?とせせら笑っていた3歳児の頃が懐かしい。
あの頃は、きっと自分に対して確とした希望を持てなかったのだろう。
なぜなら、3歳児は今を生きているから、やってしまった俺は、
永遠にやってしまう俺、のように感じてしまうのだ。
だからこそ、その都度しっかりと再生しておくことは大事である。
そんな彼の大きな転機は、生活発表会であったように思う。
彼はここで、見事主役を務めあげた。
私は何より、彼が主役を選んだことが嬉しかった。
まっとうなことをまっとうにやるには、すさまじき勇気がいる。
彼は、そこに希望という名の挑戦をしたのである。
まぁ、実際のところアイデンティティをかけて挑戦しているので、
緊張もすさまじかった。
落ち着かなくなって、いらんこともしていた。
また、無駄なことはやりたくない、というところもあったので、
必要ないと思うと、場を離れることもあった。
だが、劇の進行も自分の役割も完璧に覚えていた。
緊張のあまり、ふざけることもあったが、
それよりも勝ったのは責任感だった。
これ以上はいかん、劇を壊す、とわかったかしらん、
しっかりとバランスを保ち、むしろ劇が華やかになった。
そんなわけで、彼はまっとうな舞台で、まっとうな役をまっとうにやり遂げ、
新しい世界に入った。
それは、「俺はできる」と思える世界である。
そんなわけで、5歳児では本当に目立たなくなった。
つまり、職員室に来ることがなくなったというわけである。
代わりに出てきたのが、思いやりである。
何というか、その気の配り方、と驚いたことがあった。