Rちゃんが、ものすごく美しい泥団子を作り、
見せにくる。
すごっ、と感動するドウモトマミコ。
「昨日、作った。」とRちゃん。
うん、知ってる知ってる。
すごい集中力だったね。
それをみたHちゃんが、「泥団子ほしい。」と言ってくる。
その「ほしい。」は、所有欲の「ほしい。」である。
「Hちゃん、どろだんごっていうのはね、
レンジに入れて、ボタン押して、チ~ン、ではできんわけよ。
Rちゃんみたいに、泥から作って、さら粉かけてさ、
作るわけよ。
まみこ先生、手伝うけどさ、自分でちゃんとやらんと、
手伝わんで。」
という。
すると、「分かった」とうなづく。
なぜ、こんなことを言うかというと、
この間、なんか、ほしいといってきたので作ってあげていたら、
焦るかのように、途中で何度も手を出してきたからである。
その所作は、所有してなんぼという感じであった。
「大きいのがいい。」というので、大きい泥団子をつくる。
「Hちゃん、これは、必ずHちゃんにあげるから、
自分で作ってみいや。」
と泥を調合する。
彼女は、それを手のひらにつかんで、
実に上手に手を返して玉をつくる。
「上手やん。ずごく上手よ。」と励ます。
それで彼女は、小さいけれど「彼女が作った泥団子」を作る。
私は、彼女が所望する大きな泥団子を作りながら、
彼女に泥団子の作り方を指南する。
前からそうだが、彼女はその言動とは裏腹に「緊張しい」だし、
真面目である。
途中であきらめず、泥団子を作る。
それは、十分に美しく、固い泥団子だった。
私は、約束の泥団子を渡し、彼女は両手に泥だんごを持つ。
その後、自分の泥団子を靴箱にしまった。
みんな、そうしてるね。
大きい泥団子を所有するという気持ちを満たしながら、
彼女は、「自分でできた」を他の子と同じように、
靴箱にしまった。
この「できた」を強化しておかんといかんと、
担任の先生に、ことさらに強調して、
この自作泥団子をほめまくった。
その意図をうけとって、ほめまくる担任の先生。
Hちゃんの笑顔は、恥ずかしそうながら、
とても嬉しそうだった。
物を所有することよりも、
自分の「できた」を所有する人になってほしい、
そんな気持ちで出会った泥団子だった。
子どものすてき。