セミの季節。
大音量で鳴き続け、私たちの声もきこえやしない。
そして、子どもたちはその捕獲に勤しんでいる。
おっ、とみると、飼育ケースにどっちゃりとセミが入れられており、
下のセミは苦しさにあえいでいる。
なにしゆうが~、苦しそうやん。
だいたい、こういうことをする子どもは、セミに触れない。
なので、およそ、捕まえて遊ぶ物体という扱いをする。
触れる子どもは、セミの動きに対して同調性を持っており、
それ故か、親しみも持っている。
じっくりも見る。
なので、こちらがいったん気づかせれば、
捕まえて確かめたら逃がしたり、希少なものを探す。
触れんがやろ~、
というと「うん」とうなづく子どもたち。
「はい、脇を持つが、脇を、」と特訓。
震える手で、翅のところをつまもうとする。
「違うて、脇、ここ、ここ」とその子の脇をさわる。
もっと、手を開くが。
はい、やって。
まみこせんせい、ぜったい手―、はなさんて。
大丈夫、はい、
違う、もっと手―、開くが、こうやって。
と、スパルタ園長のもと、何度も手をひっこめながら、挑戦。
持てた!
嬉しさと安心の笑顔が浮かぶ。
セミもおとなしく、挟まれている。
ちょいと相手が不穏な動きをしようものなら、
ひぇ~!!と手をはなしまくりで、
なんと、Kちゃんなんか、足でけってたもんね。
こわいから。
乱暴の底には、怖さがある。
未知なるものへの無理解も。
ちょっとずつね。
一緒に。