これは、去年書いた10月の記事。
子どもたちが、自分たちでルールのある遊びができるようになること、
これは、子どもの育ちとしてとても大切なことです。
若草幼稚園では、ただいま年長のドッジボールが自立中です。
これは、ひとえにK先生の息の長い頑張りによるものです。
まず、当てられても平気になることが重要。
年少さんのときは、追いかけられるだけで泣きわめき、
タッチされようものなら、自分が終わったかのように感じていた子どもたちが、
負の状況が起こったとしても、自分は変わらない、
これは、単なるやりとりなんだ、とわかるようになっていく、
これが大切です。
そのために、長い時間をかけて、いろんなふうに教材や環境を工夫して、
ルールのある遊びを入れていきます。
その延長線上に、ドッジボールで、ボールがバンとあたっても平気さ、
という姿が出てきます。
また、ルールがわかり、ルールを守ろうとすること。
そうしないと、おもしろくないから、そうするという姿勢が生まれること。
自分の利益を優先した行動を「ずるい」「いかん」と
即座に友だちにつっこまれるから、抑制していくこと、
これが大切です。
ここまでの道のりに、どれほどの無駄があることか・・・。
結局、何やってんだか、何やりたいんだか、さっぱりぱりのすけ、
ってことを経験して、
先生の援助でリズムの良い展開が生まれて、
やっぱり、これが本当のおもしろさだよねって、気づいたりする。
まとめますと、ルールがわかり、それに沿った行動をするなかで、
嫌なことも、「まぁ、なんでもないさ」と思えること、
そんなことが、ルールのある遊びを子どもの力で展開させていくところの
基本にあります。
そして、今日。
年中の鬼遊びが落ち着いたところで、
今度は年長のドッジボールが子どもたちだけで盛り上がった。
遊びには緩急があるから、子どもたちが次第に抜けていって、
片方のコートに4人しかいなくなったときのこと、
「サンダーボール」
といって、コート内の友だちにボールを転がし始めました。
それを受けて、今度は隣の友だちに転がす。
そして、次の隣へと転がし、最後受け取った友だちが、相手に投げる、
という連携プレーを始めたのです。
実に創造的な、ノリが合った、決まりごと。
「サンダーボール」
意味わからんけど、おもしろすぎ。
すると、今度はよける側が、コートの隅に3人で手をつないで、
りりりー、と避け方を編み出し始めた。
おもしろすぎる。
ところが!
ある先生が、その場を見て、これを問題と判断して、
ルールを教え込もうとした。
その途端、私が「ほっちょって!」と怒り出しちゃう。
こういうのがええやん、こういうのが。
場が緩んだ時に、ふっとできる共有感満載のできごと。
これこそが遊び。
結局、このノリはなくなって、心底残念に思う私であった。
そのうち、人数が増えて、サンダーボールをすることが難しくなった。
するとプレーしながらずっと「サンダーボール」とつぶやいている。
「サンダーボール」
この響きが、自分たちの心地よさを象徴する言葉となっているのだろう。
ここは、独特のおれたちの遊び空間だってことを言葉が演出している。
あー、すてき。
そのあと、また、新たな技が飛び出してきた。
「ギンガボール」
これは、3人が一緒にボールを持って投げるというもの。
まったく、威力なし。
はははは。
だけど、ノリが作る心地よさは最高。
こういうことを編み出すのは、やはり、反骨精神の在る子ども。
大人の権威や権力に対して、「おれらだって」と思える子たち。
そんなパワーの大切さを、保育者が感じていくことを大切にしたい。
今季最高の、子どものすてき。
と、この記事を読み返して気づいたことは、
相変わらず、私が急に怒り出しそうなことはあるが、
今年の年少さんは、タッチされることにあまりこだわりを示さない。
たぶん、園の文化が変わりつつあるということかな。
楽しさの痕跡が文化を創る。
子どものすてき。