園長ブログ

子どもと咲く花

保育の醍醐味は、なんといっても先生のものです。

毎日がとても新しくて、きらきらしています。その点、園長といえばお花の世話をするか、えらそうにするか…。

けれど、決まったことがない分、ゆったりとここにいて、あの子、この子に出会えます。

あいまいな存在であるからこそ出会えるあの子のすてき、この子のすてき。

きらりと光る子どもたちの姿を心に留めておきたくて、こうしてコラムを書いてみることにしました。

子どものすてきが、どうか、みなさんに届きますように。

2015.03.10

Tくん

 

Tくんは、全部じゃなきゃ、いらないという。

全部、僕のものにならないなら、いらない。

だから、Tくんにとって、「それとかかわる」ということは二の次で、

それが、自分のものになるか、ならないかが、重要だった。

 

Tくんはそれが大好きだったけど、

ふいに怒りを見せて、その足をもぐことがあった。

何度もね。

もう、それは自分からは動けない。

 

だからTくんは、自分が手を差し伸べたら、

どんなふうにそれが自分の手の平にのってくるのか、

しらない。

そんなふうに、手を差し伸べるなんて、

自分じゃなくなりそうだったから、できなかった。

 

そうして、Tくんにとって最初からなかったものが、

やっぱりちゃんと「ない」ということになった。

ものすごく回り道して、結局選んだ「ない」ということ。

 

その回り道の間には、Tくんにとってそれは「あった」のだろうか。

確かなことは、毎日のなかで、ないものはやっぱりなくて、

あすも、あさっても、しあさっても、

その次の日も、そのまた次の日も、確かにない。

 

だから、それを手に入れることの希望や意味が消えていく。

 

そうして、Tくんは、別のものを選んだ。

別のものとは、対話が生まれた。

もう、思っているだけじゃない。

心と身体がかかわって、ダイレクトな反応を得ることができる。

 

新しい物語が生まれる。

 

でも、前の物語も、終わらない。

それは、もとは一つだった命の物語。

ずっと、悲しいことばかりで、辛いことばかりで、

笑いがなかったね。

 

物語は、ずっと、続いていくでしょう。

出会わなければ、穏やかだった。

でも、出会ってしまって、その命の在り方を

愛しいと思ってしまった。

そこに笑いがあるといいね。

暗いのは、疲れる。

 

幸せは、ときにボロボロだけど、

朝が来て、夜が来て、また朝が来る。

 

Tくんの毎日が希望に満ちたものでありますように。

 

心のなかの、摩訶不思議。