園長ブログ

子どもと咲く花

保育の醍醐味は、なんといっても先生のものです。

毎日がとても新しくて、きらきらしています。その点、園長といえばお花の世話をするか、えらそうにするか…。

けれど、決まったことがない分、ゆったりとここにいて、あの子、この子に出会えます。

あいまいな存在であるからこそ出会えるあの子のすてき、この子のすてき。

きらりと光る子どもたちの姿を心に留めておきたくて、こうしてコラムを書いてみることにしました。

子どものすてきが、どうか、みなさんに届きますように。

2015.04.30

この世界 

 

保育者として、子どもと過ごすようになって、

わかったことがあった。

 

子どもといっても、

実に様々な感性のタイプがある。

この世界をどう感じるか。

そんなときに、ちょっと、他の子どもよりも、

より直感的、動物的な子たちがいる。

こうした子のうち何人かは、年長になるにつれて、

とてもとても恥ずかしがり屋になることがわかった。

 

そんなとき、私は、申し訳ない気持ちになる。

例えば、一本のサインペンがあるとしよう。

それは、われわれにとっては、描くものである。

もっと言えば、書くものでもある。

しかし、彼らにとっては、それはじわーっとインクが出てくるものであり、

バンバンと紙に押しつぶすとおもしろいものである。

靴箱は、ジャンプ台であるし、

窓枠はよじ登って、くぐるものである。

 

しかしながら、人間文化は、それを許してくれない。

彼らはどこかで、日常的に、自分の感性では、

この世界はままならないことを学んでいく。

何がよくて、何が悪いのか、自己判断する前に、

他者から制止されるというかたちで、

この世界を学んでいく。

だから、いろんなことに対して緊張する恥ずかしがり屋さんや、

物静かな人へと変わっていくのである。

 

彼らは、小さな子どもでありながら、苦労人である。

そんな姿を見ていて、

なんとなく、とてもごめんねという気持ちになる。

 

大人になって、個性的ね、と言われる人や、

まさか、こんな人になるなんて意外!

とか、そんな人たちは、子どもの頃、とても静かで、

恥ずかしがり屋さんだったのかもしれない。

学校文化から解き放たれて、自由になったのだ。

 

この世界は、けっこう大変。

子どものすてき。