園長ブログ

子どもと咲く花

保育の醍醐味は、なんといっても先生のものです。

毎日がとても新しくて、きらきらしています。その点、園長といえばお花の世話をするか、えらそうにするか…。

けれど、決まったことがない分、ゆったりとここにいて、あの子、この子に出会えます。

あいまいな存在であるからこそ出会えるあの子のすてき、この子のすてき。

きらりと光る子どもたちの姿を心に留めておきたくて、こうしてコラムを書いてみることにしました。

子どものすてきが、どうか、みなさんに届きますように。

2016.03.01

みんなで包む ・・・年長児

 

長い間、お話ができなくて、動くことができなかった子がいた。

でも、動けるようになり、お話をするようになり、

自分で自分を奮い立たせるようになった。

 

クラスの子どもたちは、それをずっと肌で感じてきた。

子どもの共感性は高い。

その子の一歩一歩は、自分の一歩一歩と同じだった。

だから、いろんなところで、気遣いがあった。

それは、とてもさりげないもので、

およそ、直接的なものではなかったが、

「やさしさ」という言葉がぴったりの何かだった。

その軸に、担任のまなざしと心持ちがあったことは確かである。

 

その子が、誕生会で司会をすることになった。

それは、とてつもなく、大きなこと。

全員が、その子の前進を祈った。

 

それは、それぞれの行動と言葉の端々に表れ、

その子を支えた。

 

例えば、その子の心が沈みそうなタイミングを察知すると、

さっと、腕をとって声をかけたり、

私が「こんなことがあるかもしれないけど、

でも、大丈夫だから・・・うんぬんかんぬん。」の話をしていると、

盛り立てるように、「大丈夫だからそんなの!」

という雰囲気を作って、彼女の心を支えた。

そのタイミングや瞬発力は、本当に、お見事だった。

 

そういえば、私がお昼を食べに行くと、いつも子どもたちは、

ぎゃーぎゃーとテーブルに誘ってくれるが、

彼女のところに食べに行っている期間は、

何も言わず、ずっと見守っていた。

 

その子は、勇気と挫折の間を大きく行ったり来たりしながら、

前に進み、

まわりの子たちは、黙って、前に進むことを祈り、

見守っていた。

 

私は、

「あなたの心には、みんなが入ってるから、大丈夫。」

と言わずにはいられなかった。

だから、そう言った。

 

そうして、その子は、普通に、

ぎりぎり普通に、大役を果たすことができた。

 

その子の頑張りも大きいが、

まわりの子どものそのままの共感性が、それを支えたと思う。

 

子どもの美しさに出会った日。

 

子どものすてき。