どこからか、
「カエルはお水が好き~。」
という女の子の声が聞こえる。
なんだろう。
しばらく後で、
小さな器に水を入れて、
葉っぱを一枚入れ、
その中のカエルを見ているSちゃんとTちゃんに出会った。
なるほど、Tちゃんだったのか、さっきのは。
と、カエルが飛び出す。
「きゃぁー。」
と反応するふたり。
いそいで、Sちゃんが捕獲。
また、器に入れる。
が、また、ジャンピングして逃走するカエル。
きゃぁ。
今度はTちゃんが、
カエルを入れてきたビニール袋越しに、
つかもうとする。
直接触らんでいいね、それなら。
が、カエルの予測不可能な動きに、
びびりまくる。
「どうしたらいい?」
と、傍らで見ている私に尋ねる。
「うーん。
Sちゃんみたいなのでいいんじゃない?」
と、Sちゃんがビニール越しに捕獲。
で、また、逃走。
当たり前ですね。この器じゃ。
Tちゃんが捕獲を試みるも、カエルが仰向けになり、
「ひっ。」
というTちゃん。
それで、Sちゃんが器に戻すと、
Tちゃんが、ビニールをふたにしてかぶせ、逃げないようにする。
そして、「カエルには毒があるの~。」と繰り返していう。
カエルを園に連れてきたTちゃんの現時点の知識は、
・カエルはお水が好き。
・カエルには毒がある。
というものである。
連れてきながら、お母さんにお話ししてもらったのだろう。
この知識が動きの源になっている点は注目に値する。
私は、このとき保育者目線で、飼育ケースに入れればいいよね、
などと思っているが、
どこまで保育者が手を出すのか、
という思考にここのところふけっていたので、
そのまま見守ることにする。
そこへ、べつのSちゃんが、ソロソロとお水を運んできた。
Sちゃんも仲間だったんだ。
「カエルは、お水が好き」の実践である。
ところで、ずっとビニールを被せていては、カエルを見ることができないので、
Tちゃんが、ビニールを外してカエルを見る。
すかさず、カエルは逃走する。
ご苦労だのう。
捕獲され、戻される。
このときSちゃんは、ビニール越しに捕まえる。
Tちゃんが、「カエルには、毒があるの~。」と繰り返していることに、
反応しているのだろう。
さて、Tちゃんは、Sちゃんが水を運んできた容器をフタ代わりにはめてみた。
ちょっと、不具合を感じたらしく、
外して、またビニールに代えた。
でも、観るためにまた外す。
カエル、もちろん逃走。
すると今度は、その容器を逃走中のカエルにかぶせた。
そして、容器ごと引きずるように移動させる。
なるほど。
それなら、触らんでいいし、逃げないね。
が、元の器に移すことはできないので、結局比較的平気なSちゃんが戻す。
すると、Tちゃんは、ビニールをかぶせた上に、その容器をフタにした。
これで、ビニールを持ち続けなくて済む。
子どもって、実に試行錯誤するよね。
子どものすてき。
<事例考察>
カエルを捕まえてきたTちゃんの知識は二つ。
きっと、お母さんにお話ししてもらったことだろう。
カエルはお水が好きで、カエルには毒がある。
というわけで、器にはお水と葉っぱがいれてあり、
別のSちゃんは、さらなるお水を運んできていた。
そして、Tちゃんは、カエルを捕まえるとき、直接触らないようにビニールを使う。
それは、毒があるからである。
つまり、この出来事において、知識は動きを生む源になっている、
これは、注目に値することである。知識は、生きて働くのだ。
さて、私は、保育者目線で、飼うなら飼育ケースで、
もっといい環境を、逃げんし、などと思いながら、
この様子を見ている。
そこでわかったことは、
カエルは実にごくろうさまであるが、
「カエルが逃げる。」
という事態は、実に必要ということであった。
子ども目線で言えば、飼育ケースに入れるよりも、直に見ることができるし、
「身近」度合いが高くなるので、この方が一緒に過ごしてる感は強い。
保育目線で出来事を解釈すれば、「逃げるー捕まえる」は、
子どもの心が非常にドラマチックに動く。
そして、そのことが、Tちゃんのすばらしい試行錯誤を生んでいる。
逃げないようにするための工夫、触らないで捕獲するための工夫である。
というわけで、結論的には、私は手を出さないで正解であったろう。
あぁ。
アマガエルよ。
本当にごくろうさま。