園長ブログ

子どもと咲く花

保育の醍醐味は、なんといっても先生のものです。

毎日がとても新しくて、きらきらしています。その点、園長といえばお花の世話をするか、えらそうにするか…。

けれど、決まったことがない分、ゆったりとここにいて、あの子、この子に出会えます。

あいまいな存在であるからこそ出会えるあの子のすてき、この子のすてき。

きらりと光る子どもたちの姿を心に留めておきたくて、こうしてコラムを書いてみることにしました。

子どものすてきが、どうか、みなさんに届きますように。

2016.11.30

というわけで。 ・・・年長児

 

イメージを共有し、一つの絵を作り上げるというのは、

5歳児に求められる協同的学びにふさわしい活動である。

 

しかし、これはなかなかに、難しいのである、実際は。

私の発見では、仕切り屋の女の子が、ボンドを担当し、

このぶにゅぶにゅと出てくる感じが楽しくて、

先走ってボンドを垂らしまくり、

本人は地道に実を置くことをしない、

という姿であった。

これが複数人いるのである。

派手なことはしたがるが、先走って、共に動こうとしない、

周りを考えない、地道なことはやらない、

そして、イメージは他人任せ。

これは、問題であろう。

というわけで、私に怒られて泣いた子もいた。ははは。

 

それはよかろう。

「ひまわり」を作ったグループのことである。

実にダイナミックで、生きる力を感じる作品であった。

個人作品では、ひまわりを描く予定だったが、

時期がことごとくずれまくって、

ゴッホ的「ひまわり」を描くことを断念した我々にとって、

(だから、紆余曲折しまくって、

 同じ花の構造をもつコスモスを描いたのだが)

この「ひまわり」は、実に芸術的魅力に満ちた「ひまわり」であった。

 

花びらにセンダンの実を使いまくり、

どれが花びらかいまいちわからんなっても、

それは、実にすばらしさを放っていた。

 

ちなみに、このグループは、あんまり考えない人と、

考える人で構成されたグループであった。

考える人は、全体的イメージを持ち、

現状を把握し、次にどうすればよいか考える。

一方、考えない人は、今起こっていることそのものに没入し、

感性全開で集中する。

たぶんね。

 

考える人が3日もお休みしたので、この「ひまわり」は、

考えない人の展開で進んだ。

考えない人たちは、おそらく、他のグループの「雲」の表現に、

触発されたのであろう。

空いたところに、雲を作った。

だがしかし、それは、ひまわり的には、下にあった。

 

雲の上にひまわり?

それもあなた、下絵では、それ葉っぱだったでしょう。

考える人と考えない人が話し合う。

それにしても、この雲の形、葉っぱでもいけますよね。

 

というわけで、

雲に細い枝の葉脈が施され、それは、葉っぱになった。

いくら葉っぱが白かろうが、それは実に芸術的であった。

 

よし。

よしなのよ。

 

子どもの協同のリアル。

子どものすてき。