川渡り・・・、といっても、
そこは川ではない。
床である。
保育室の。
そして、まわりを囲むのは、
お昼ご飯を食べるテーブルである。
そこで、二人は川渡りを始めた。
つまり、テーブルの上に乗って、
6つのテーブルをジャンピングして渡り始めたということである。
まるで、いたずらっこの絵本みたい。
しかし、私は黙って見ている。
今日は、怒らん戦法をとる決意でいたからである。
しかし、心では「落ちてみやがれ」と思っている。
だがしかし、
彼らは実にうまく、飛んで見せやがるのである。
やがるやがると、品がないが、
絶妙に距離を測り、ムリだと思うと途中で降り、
実にすばらしい曲芸を繰り広げている。
私は、黙って箒を持ち、
お当番の子どもたちには、テーブルを拭くのを待ってもらい、
「まみこ先生はね、全然、いいと思っていないから、これ。
全然、いいと思ってない。」
とつぶやく。
まわりは着替えをしながら、「そうだよね。」と聞いている。
すると、二人の動きは加速した。
しかし、止めないで、箒で掃き続ける。
そして、まぁ、いろんな理由で、彼らは、
保育室から飛び出していく。
それから、何度かの攻防があり、ほとぼりが冷めたころに、
一人が戻って来て、お弁当箱をカバンから取り出した。
「待てい!」
そうは、させるか。
「散々好き放題しておいて、
お腹がすいたから、はい戻って食べますって、そうはいくか。
ちゃんと、まみこ先生のお話を聞きなさい!」
というわけで、保育室の入り口で、
手と弁当箱を握りしめ合う攻防15分。
観念して話を聞き、「机に上るものではない、わかったか、」
にうなづく一人。
別の先生に頼んで待機させていたもう一人は、
待機に疲れたと言って飛び出していき、
何度か逃走と追走および捕獲を繰り返したのち、
抱っこにて決着。
結局、抱っこされたいのだから笑える。
こんな二人だが、それなりの按配は持っている。
えぇ、これで?と思う人もいるかもしんないが、
友だちが作ったものを壊したりしないし、
それほど、はちゃめちゃな状況はつくらない。
彼らの敵は、幼稚園という「学校」である。
それを体現するのは、保育者。
これは、この園ではないところで培われてきたもので、
相当に深い根をもっている。
だから、幼児教育はこわい。
自由を奪い、
理由の分からないめんどくさいことを、
強要する大人へのアンチテーゼが、
彼らの行動の根本理由である。
着替えんでもえいやん、手を洗わんでもえいやん、
なんで、歌うたう?なんで、みんなで座らないかん?
そんな、お話、関係ないし。
というわけなのである。
そこに共感する子は、結構いたりして、
私はけっこう大変であった。
彼らの持つ自然性を、受け入れながら、導くことの大変さ。
「これぞ、子ども」と思いながら、魂の修行が要りすぎの保育業。
心底腹が立ったり、笑ったりしながら一日が飛ぶように過ぎていく。
担任って、まっことえらいよね。
子どものすてきもあるが、むしろせんせいのすてき。