園長ブログ

子どもと咲く花

保育の醍醐味は、なんといっても先生のものです。

毎日がとても新しくて、きらきらしています。その点、園長といえばお花の世話をするか、えらそうにするか…。

けれど、決まったことがない分、ゆったりとここにいて、あの子、この子に出会えます。

あいまいな存在であるからこそ出会えるあの子のすてき、この子のすてき。

きらりと光る子どもたちの姿を心に留めておきたくて、こうしてコラムを書いてみることにしました。

子どものすてきが、どうか、みなさんに届きますように。

2017.03.01

確認の先へ ・・・年中児

 

朝一番、職員室に来て、

先生たちの机の上に裸足で上がることが日課だった彼も、

随分と落ち着いてきた。

しかし、時々確かめなければならない。

 

ぼくは、認知されているだろうか。

ぼくのことを、まだ好きだろうか。

ぼくは、この園に受け入れられているのか?

 

自分が所属する園の長が、自分をどう思っているか。

これは、存在のサバイバルを続けている者にとって、

非常に重要なことである。

 

ある日、また机に上がって騒ごうとした彼に、

ドウモトエンチョウは、こう言った。

 

「もう、どんな君でも、

 先生らぁが大事やってことわかったろう。」

 

すると彼は、こくんとうなづいた。

お、うなづいた、と思いながら、

 

「ほんなら、もう、だめやってことは、

 だめなんやから、自分でやめないかん。」

というと、

彼は、ものすごくバツの悪そうな表情をして、

黙ってうなづいた。

 

あぁ。

こんなところまで来れたんだな。

と思った。

 

バツの悪そうな顔は意外だった。

私たちが思った以上に、彼にいろんなことが響いているんだろう。

 

生活発表会では、よく頑張った。

恥ずかしくてたまらない気持ちをおさえるために、

彼は、舞台そでに隠れていて、自分の出番のときは、

真っ赤になりながら、頑張った。

そして、出番が終わった後、暴走しかかる自分をおさえて、

飛び出した先にあったストーブであったまるフリをした。

 

劇の真っ最中に、舞台から下りてストーブであったまる、

という図には、どこかしらユーモアがあった。

そして、その背中は、とても小さくて、丸くて、愛おしかった。

 

荒波もいつか静まる。

子どものすてき。