お母さんのお財布をテレビの後ろに隠し、
お母さんを警察にまで行かせ、カードまで止めさせたYちゃんは、
幼稚園で一番豪傑であり、強者の女子である。(たぶん)
その屈託のない笑顔に、お母さんは笑ってしまったかもしんない。
が、これは想像である。
豪傑で強者だからと言って、お友だちに当たりが強いかと言えば、
全然そうではない。
至極、穏やかに過ごしている子である。
だが、魂が太いのである。
2歳のころ、私が遊びに行くと、
不審者として私を同定した目は、実に鋭かった。
そして、お友だちが攻撃されると代わりに、
男の子の顔面にグーパンチをしていた。
そのYちゃんが、緑の金柑を取りまくり、
そばのよくわからない(私がしたことだが)水たまりに、
全部沈めて遊んでいた。
Yちゃんの強者ぶりは、保育者の注意について、
全く意に介さないというところでも発揮される。
お片付けのときも、「私は関係ない」と心底思っているが、
やばいなと思うとやっている。
ちなみに、私は常に彼女の笑顔に見惚れてきた。
彼女の笑顔を見ると、それだけで幸せな気分になれる。
きっと、彼女は社長になるであろう。
というわけで、いけないことと分かりきって、
緑の金柑を取りまくったYちゃん他、3,4人であるが、
誰に対して謝らせるか、というところで、
非常にまよった。
黄色くなるまで待っている子どもたちと言っても、
なんとなく、年少でクラスの前に立たせるのも酷な気がするし、
どこかでは、笑って済ませることな気もする。
先生に謝らせるのも、なんとなくなんで?という気もするし、
園の管理者である園長というのも、いまいちピンと来ない。
というわけで、一生懸命、実をならかしている金柑の木に謝らせることにした。
年少であるから、いけるだろう。
「実」は、赤ちゃんと一緒である。
一生懸命育てて、その実を分けてくれている、木に、謝りなさい。
えー、とまなこを開いて、ほんまですか、
という顔をしていたが。
私が木のそばに立ち、
「まみこ先生は、木とおはなしできるからな。」
というと、
首謀者3人は、とても神妙な面持ちになり、
「ごめんなさい」と謝ったのであった。
私が、木の代弁をするように、
「大事にしてください、だって。」
というと、笑ったので、代弁しなきゃよかったと思った。
子どものすてき。