生活発表会が、無事に盛大に終わった。
どの子どもも、期待に満ち、自分のすてきを信じて、
舞台に立つ姿があった。
この晴れの日にいたるまでには、たくさんのドラマがあった。
これは、Dくんの話である。
Dくんは、なんというか、最終的には、ある役になって、
みんなと一緒に動くということに、わからなさを抱えており、
練習のときは、ずっと動き回って、
はっきり言って、「やめなさい。」という動きばかりをしておった。
分からないため、じっとしているのが、我慢できず、
最初はみんなと一緒にいても、すぐに飛び出し、走り回る。
その底には、きっと不安があったろう。
総練習では、緊張も手伝って、さらに動き回っていたので、
舞台から出して、遠くから劇の様子を見させた。
そして、チアダンスのシーンになっている舞台を見せながら、
「あなたは、このときに何をするの?」と尋ねると、
「へびを倒す」といった。
「どこに、まえがみたろうがおる?
へびがどこにおるの。
おらんやないの。
ちゃんと舞台を見なさい。今、誰が何してんの?」
というわけで、彼にとって、劇は、細部をすべてとっぱらって、
「へびを倒す」という出来事に集約されているのだった。
それでは、他の動きができるわけがない。
先生は、彼と個人錬をしていたが、それでも、わかっていなかったわけだ。
セリフは覚えているのだが、構造がわかっていないのだった。
しかし、希望が持てるなと思ったのは、
彼は、ちゃんと先生に「はじめがわからない。」と言ったことだった。
わらないことがわかっているのだったら、必ず学習できる。
そこで、職員室で個人錬をすることにした。
ここで、神様の恵みがあって、
なんと、やり取りの多い、火の鳥役のYちゃんが、
「私も一緒にいく。」とついてきてくれたのであった。
ありがとう、Yちゃん。
そして彼は、けっこうセリフを覚えていた。
それをリズムよく、相手と合わせて話すのが難しかった。
私の派手な指揮のもと、何度も練習しているうちに、笑顔が浮かぶ。
それがまた、いろんな人が打ち合わせに来るもんで、
何度も中断されたのだが、彼も彼女も非常に頑張ってくれた。
それでも流石に疲れが見えてきて、
前半で、手一杯になり、
中盤までは、行くことができなかった。
とりあえず、「またやろう。」と言ってわかれ、
クラスの練習をむかえた。
出番になる。
セリフのタイミングになると、Dくんは、確かめるように私を見た。
私は、おおきくうなづく。
また、次のときにも、私を見た。
大きくうなづく。
そして、3回目のとき、彼は、
隣で、同じ役の子が同じことをしていることに、気づいた。
「自分」に囚われていたDくんが、周りに開かれた瞬間だった。
友だちと同じことをすれば、「できる」。
彼は、私を見なくなった。そして、周りに混じって、そこにいた。
分からない中盤部分も、友だちについていき、
後半の大好きなシーンは、生き生きと頑張っていた。
そうして、本番当日を迎えた。
彼の表情は、非常に硬かった。
そして、練習のときには、できていた前半部分は、黙ったままだった。
そして、後半部分も、ほとんど立ったままだった。
そして、唯一大きな声が出ていたのが、
やり残していた中盤部分だった。
彼は、自分の課題がちゃんとわかっていたのである。
そして、本番、そこに気持ちを合わせていたのだろう。
なんと、真面目な子だろうか。
なんと、必死な姿だろうか。
結果は、客観的に見れば、とても残念なことだった。
覚えた前半部分を友だちとこなし、
中盤部分は、友だちに合わせ、
大好きな終盤は、生き生きと演ずるはずだった。
彼は、生活発表会は二度とやりたくないといい、
その曲が流れると耳をふさいだほどだった。
本当に、ごめん。
しかし、私は、
彼自身ができない自分に課題を持ち、
それに悩み、最後までなんとかしたいと思い続け、
頑張っていた姿に胸を打たれた。
君は最高にえらい子だと言いたかった。
来年は、きっと大きな花が咲くだろう。
節目の日の裏側には、たくさんのできごとがある。
子どものすてき。