彼は、「ごめんね」が言えない。
それが、だんだんと我々の課題としてはっきりしてきて、
そして、ご家庭でもそれが課題になった。
そんなときが、乗り越える節目となる。
いつも、「沈黙する」でやり過ごしてきたことを、
もう、やり過ごせませんよ、と予告する。
「ごめんね。」が言えない人生というのは、大変である。
「間違いができない」という枠組みで、間違いをごまかすことを学んでしまう。
間違いをしない人間は一人もおらんからである。
だからこそ、この心の柔らかい時期に、
謝ることで救われることを、学んでおかなければならない。
彼は、大好きな先生をからかう絵を描いて、
それを先生に見せた。
先生の顔が、さっと曇ったのを見て、
彼は、その絵をぐしゃぐしゃにした。
「まずい」と思ったのだろう。
3人で意気投合して描いた、ちょっと許しがたい絵は、
全部で、7枚ほどあった。
いつもは、笑って済ますことも、
行き過ぎるとそうも行かず、
さらに我々も、「今、この時」という課題を持っている。
どれを誰が描いたのか不明だったので、
彼に1枚ずつ尋ねる。
彼は、絵を見ながら、明瞭に他の子の名前を言っていく。
そして、自分が描いた物に行き当たったとき、
ぬ、
と止って、「わからん。」と言った。
ある意味正直である。
私は、彼が「謝れない」ことを指摘し、
それでは、物事は終われないことを切々と彼に説く。
まず、大好きなA先生が「いいよ」と言えないで、
ずっと、描かれた思いを持ち続けなければならないこと、
同時に、彼自身も、前に進むことができないことを説く。
だが、午前中の1時間、彼はそっぽを向いたまま、動かなかった。
もちろん、涙も流した。
私は、「いつまでも、待つから。」と伝え、
「勝手に、自分を言えない子だと決めつけないように、
そんなものは、ぶち破って、前に進むのだ!」
と励まして、PTAさんとの会議にでかけた。
先生の顔が曇ったときに、即座にその絵をぐしゃぐしゃにした彼は、
まずかったと、思っていたはずである。
そして、先生ごめんね、と言いたいはずである。
彼は、そうしたハートを持っている子である。
ここは、間違いない。