運動会、リレーの季節。
走る一瞬に全身全霊をかける子どもたち。
例外もおらんこともないが、
子どもたちは実に真剣だ。
この日、あやめ対ばらのリレー合戦が行われた。
バトンを受け継ぎ、いいスタートを切った二人。
と、抜かしそうなところで、Hくんが派手にこけた。
しかし、彼はすぐに立ち上がり、走り始めた。
その焦りからか、また、こけてしまった。
心が折れそうになる。
けれど、鋭い声援を受け、立ちあがって走った。
私がもっとも感動したのは、
バトンを渡す最後の直線で、
彼が、みるみるスピードを上げたことだった。
これは、なかなかできん。
痛みやなんやらかんやらを超えて、
みんなのために走る姿。
これが、社会性であり、公共の精神の萌芽である。
こういった芯がスマートな子は、けっして派手ではない。
だけど、優しくて、確かだ。
Kくんの場合は、自分がこけてしまって、
クラスがハンデを負ったことを悔いて泣いた。
骨折して、ほとんどの競技に出られなくなったYちゃんは、
骨折した次の日に、自分からみんなにお手紙を書き、
みんなの前でお話しした。
「運動会に出られなくなって、ごめんなさい。
私の分も頑張ってください。」
と。
先生の頬に、涙がつたった。
家族から、クラス、幼稚園、小学校、中学校と所属意識は広がりを持ち、
その先に、高知県があり、日本があり、地球がある。
今、およそ完膚なきまでに失われつつある公共の精神は、
子どもが初めて出会う社会にどう所属するかにかかっていると私は思う。
だから、幼児教育は大切で、一人一人の思いが大切にされる遊びが大切で、
遊びから生まれる全体のうねりとしての文化の継承、
すなわち幼稚園の歳時記が大切なんです。
子ども、最高のすてき。