一番最初に目を惹いたのは、
彼女が、とても音楽的であるということだった。
何もかもが、リズミカルで、
弾むような何かを持っている子である。
その次に、わかったことは、超合理的、
ということだった。
わかればOKという、後をひかない行動が目立った。
彼女は、あまり私を好きではなく、
私も彼女の呼吸を計りかねるところがあって、
いまだに、とても難しさを感じている。
もちろん彼女には何の問題もなく、私に問題があるのである。
ただ、私は、彼女に見とれることがとても多く、
大変、心を魅かれている。
だから、「あなたには、無理に関わらないわ。」
という距離感に徹している。
そうして、わかってきたことは、
非常に自立心の高い子だということであった。
簡単に人は寄せ付けないし、心も開かない。
そこには、れっきとした「私」がある。
この私に甘えて抱っこされるなんぞ、
100年先でもなさそうである。
ある日、こけたので洗いに行こうと手を引いたら、
「自分で行く」とばかりに払いのけられた。
彼女は、2歳でありながら、
超かっこいい子なのである。
夏休みは、担任が変わる。
知らない先生もいる。
今日、二歳のお部屋に入ると、
いつもの担任のいない子たちが、私のところに集まってきたので、
今の先生の名前を呼んで教えたりしながら、
こちょこちょを始める。
さて、Nちゃん。
Nちゃんは、さっきから私を殴ってきているが、
果たして、こちょこちょをされたいであろうか。
なんとなく、すると嫌がりそうな気もする。
しかし、それにしては、殴ってくる時間が長い。
というわけで、思い切って、
抱きとめて倒し、こちょこちょをした。
すると彼女はとても喜んだ。
「あ、よかった。」とほっとする私。
そうして、結局二人で何度もこちょこちょをするに至った。
しかし、いつもより相手の呼吸を計ろうとする私がいて、
彼女は、やっぱり、なんとも難しい子であった。
そして、なんとなく空気が落ち着いたところで、
私は、「まみこ先生、帰るわ」といって、
立って、戸口に向かった。
すると、Nちゃんが、
「タッチ」といって、私を呼び止めた。
それは、いつもお母さんと別れるときにする仕草である。
彼女は、私とタッチすると、
バイバイと手を振った。
別れの儀式。
類まれな知性をもつ子だなと思った。
楽しかったことへの、「おわり」という決別の儀式をする、
自制心、切り替えの心。
そして、その裏側にある寂しさ。
彼女は3月生まれ。
まだ、2歳でも、尊い人格がある。
あなたの音楽的な、弾むような心と身体が、
そしてその類まれな自立心が、
この園で花開き、育まれますように。
Nちゃんのすてき。