今年は、喪服に袖を通すことが本当に多かった。
小さな頃から、私はよく母にお使いに行かされた。
たぶん3歳ぐらいからで、今ではありえんことだろう。
行く先は、山本商店という万屋さんで、今でいうコンビニだった。
そこでいつも私を笑顔で迎えてくれたおばさんが、亡くなられた。
山本商店に行く道は、4通りあって、
私は気分で、その道を選ぶことができた。
狭い道がお気に入りで、くぐったり、塀を登ったりして、
足場の悪い道をわざと通り、ちょっとしたドキドキ感を味わっていた。
ちなみに私は骨折歴4回である。
その他に、原っぱの道もあったし、普通の道もあったし、大きな道もあった。
時には、どれだけ早く行けるかを一人で競っていたし、
花を摘みながら歩いた時もあった。
そして、どんなときも、たどり着いたら、
そのおばさんが笑顔で迎えてくれた。
私が、お店に長居して、いろいろ眺めていても、
いつもニコニコと待っていてくれたし、
私が、80円のチョコアイスを買うか買わないかで、
さんざん迷っているときも、急かされたことは一度もなかった。
私は、山本商店を介して、
取るに足らない試行錯誤をたんまりと積み重ね、
その一つ一つの先に、いつも温かく、
「いらっしゃい。」「ありがとう。」
と言ってくれるおばさんがいたのだった。
おばさんの死は、
私のなかの何かに対する「さようなら」につながった。
そして、父のときと同じように、
「死」は絶対的なお別れであると同時に、
絶対的なお別れではないことを思う。
あの頃は、自由に道を選べた。
全てが、取るに足らないけれど、
一つ一つが新しかった。
終わりのすてき。