上の息子は高3で、とうとう最後の県体を迎えた。
その一週間前から腰が痛くなり、
相変わらず気合いで乗り切る構えを崩さず、
前日は、しびれて立てないほどになった。
勝ちたいなら、なぜ、腰を大事にしないのかと、
なぜ、そのための計算をしないのかと、
相変わらず変わらんなぁ、あほやなぁ、
と思っていたが、そういうことでもなかった。
一日目は、団体戦で、
彼は、レギュラーではないが、
「勝ってほしい。
ほんとに、勝ってほしい。」
といって、家を出て行った。
そして、声を枯らして、帰ってきた。
彼らの高校は、見事優勝を果たし、
自分は、応援で全部の体力を使ったので、
個人戦の試合がなくて本当によかったと言っていた。
その様子を見たときに、
腰を大事にして勝つための戦略を練るよりも、
彼は、ただ、一日一日を全力で生きたかったのだ、
ということがわかった。
彼はずっと、最後の県体が全てだ、
これで最後なんだと言っていた。
命が、燃えているね。
それで、次の日、応援に行く気になった。
彼の高校の応援は有名で、
進学校を鼻にかけた柄の悪さと、
類いまれなノリの良さを特徴とするが、
私が感心しているのは、声をかける内容の的確さである。
応援のスタイルは一緒だが、
一人一人にかける言葉が違っていて、
それは的確でありながら、
的確であるが故に、癖とも言え、
どうしようもない場合もあったが、
そこには、共に過ごした時間の長さと、
相手への思いの深さがあり、
心から支え合っている姿があった。
彼らは、若く、多少荒々しく、多少幼く、
とても瑞々しく、
命を、存分に燃やして、生きていた。
よかった。
優勝おめでとう。
そして、6年間、ご苦労様でした。
高校生のすてき。