修士を卒業するとき、タイミングよく、
学大、埼大、千葉大、横国大連合の、大学院(博士課程)ができた。
どうせなら最後まで、と思い受験した。
すばらしいことに、受験科目に第二外国語がなかった。
学部生の頃、ドイツ語なんてよく取ったね、という感じで、
どうやって取れたのかすら思い出せない。
面接試験の日のことである。
私は、どうやって答えるかということよりも、
どうやって「印象」をよくするか、ということしか考えてなかった。
そういうわけで、前日に、たまたま足がきれいに見える座り方、
という番組を見て、これを実践しようと思いついた。
さて、挨拶して座る。
前日見た「スチュワーデスの座り方」を実践する。
(私は、とてもアホであった。)
正面には、めちゃめちゃ怖い顔の恩師がいる。
そして恩師は、私に答えられない質問をした。
はい?
支離滅裂に答える私。
研究室に戻った私は、
ちくしょー。と椅子を蹴った。
それを偶然見ていた後輩が、
恩師に、「真実子先輩が、怒ってました。」と報告した。
何をしてくれやがる。
すると、恩師は「だろうね。」と言ったそうである。
「だろうね、・・・なんだ。」と私は思った。
しかし、これは恩師の策略であった。
自分の研究室の学生を特別扱いしない、
むしろ厳しくする方が、周りの先生の印象をよくするはず、
という恩師の読みであった。
そして、私が印象操作に選んだ柔らかいイエローのスーツと、
黄緑のスカーフが、紺と黒ばかりの受験生の間で好印象として残り、
さらに、最初に挨拶したのは私だけだったというところで、
高得点をたたき出し、トップに躍り出たそうであった。
だが恩師は、受験が終わった次の日のゼミで、
みんなの前で、少しの間無言になり、「残念だった」と言った。
普通、「残念だった」と言われたら、
「落ちた」と思いませんかね。
で、合格発表があっても、
ちっとも報告に来ない私に業を煮やした恩師が怒りだし、
「何をしてるんだとお怒りですよ。」と、まわりから知らされた。
「何をしてるんだって、落ちたんじゃないんですか、」
と思っていたが、結局合格していたんだった。
(考えてみれば、いずれにしろご挨拶に行くもんであろう。)
いろんな策略がヒットし、
まさか幼児教育の学生が一番なんてありえませんよね、
と思っている周りの先生の鼻を明かすことになった恩師は、
高笑いをしていた。
これは余談だが、
博士論文を書く過程で、歴史だか、哲学だかの先生が、
「この学生の学的素養は、どうなんですか。」
と恩師に言ったらしかった。
つまり、「学問が何かわかってないんじゃないの?」
というようなツッコミである。
これに、恩師は断固怒り狂ってくれたらしいが、
私は内心、「見抜かれてるかも」と思った。
私は、「これ」と思ったことにしか向かわない学生であり、
ときに、恩師のご指導に「ようわからんけど、こんな感じなんかな」
みたいなところがあった。
しかし、修了までには、なんとか学問の全体構造とその必然性が分かり、
事なきを得て、また、1番で卒業したのであった。
これは、成績ではなく、旧姓が岡林で「あいうえお」順だったからである。
隣の心理学の人に、「交換してよ。」と言われたのを覚えている。
私の時代は、博士号を3年でとるなんて、とんでもない!という文化と、
もう、博士はみんな取りましょうね、という新しい文化のはざま期で、
哲学なんかは、ふざけるなよ、という雰囲気が強かったので、
卒業生は一人もいなかった。
よかった、新しい分野で。
学生時代の私は、社会の仕組みを理解する頭を持っていない、
超自己中心的な人間であったので、
(家族は、今も全然変わってないというだろう)
恩師のして下さっていたことが、全然わかっていなかった。
本当に、感謝しかありません。
先生、寂しくて仕方ありません。
恩師のおかげ