1 園庭という場所
園庭というのは、一つの大きな保育室のようなもので、ここではいろんな活動が展開されます。鬼遊びや、ドッジボール、サッカー、かけっこ、フープ、竹馬、なわとび、どろんこなどなど、時期に応じてたくさんの遊びが出てきます。他学年が入り交って、とても大きな科学反応が起きていくところが、園庭のおもしろいところです。
私がいつも思うのは、先生たちの人間関係が良くないと成り立たないところだな、ということと、常にその状態を診断する人間がいるな、ということです。
人間関係がいい、といった場合に、それは「仲が良い」ということとはちょっと違って、流れのなかでお互いが動けるということです。ある学年のある遊びの状況が生まれたことを受けて、自分が動き、ある状況をつくっていく、それを受けて、また、動く、ということが実に自然にできる、ということが園庭の保育の豊かさを作り上げていきます。
これは、個人を意識した人間関係のよさではできないことです。もっと、身体的なところのつながりが大きいと思います。若草幼稚園は、一つ一つ、たくさんのことを共同作業していくので、そのつながりが、すなわち先生たちの身体的同調性が、園庭の保育にとても生きているように思います。
その意味では、園庭の遊びが盛り上がらない園というのは、案外たくさんあるでしょうね。若草幼稚園は、とてもすばらしい園なのです。
2 例えばライン引き
園庭の保育で大切なのは、それぞれの遊びの境界をわかるようにしておくことです。遊びにまとまりが見えないと、子どもが憧れを持ったり、興味を持つことが難しくなります。
その工夫の一つにラインを引くということがあります。白いラインを引くときは、導入時や一斉活動のときなど、特にその活動をまとまりとして子どもに印象づけたいとき。
その遊びに慣れてきて、動きで境界がわかるようになってくると水ラインの方が、効果的です。人数の増減によって、空間の大きさを変えられるし、別の学年のやりたいこととの兼ね合いで、場を移動することも簡単にできます。
こおり鬼。すごくやる気になった若い先生が、そのやる気のまんまに、園庭のど真ん中に白いラインをどどーんと引いて遊び全然盛り上がらず・・・。ということがありました。ふつか。
集まった人数のわりに、場が広すぎるから展開が間延びして、いいリズムが生まれません。
で、水ラインにしても、どどーん、と一発。
だから違うって。
自分のやる気とそのときの子どもにふさわしい大きさは違う。
とうとう、ドウモト園長、ラインを引き直しましたぁ。
すると、「ありがとう~、これで、すぐに捕まえられる!」と
その場にいた子どもにお礼を言われました。
わははは。
子どもは、わかってるんだよね。なんとなくだけど。
でも、自分で引き直すわけじゃあない。
それは、どこかで先生がすること、と思っているから。
そこを、自分たちでやるようになったら、すっごくすてきだけど、
狭くするっていう発想は、子どもではなかなか湧かないでしょうね。
広くするはあっても。
3 そしてすてき一つ
しかし、この若い先生のやる気は、どんどんと子どもを育てていきます。毎日、楽しそうに走るMせんせいを見ている子どもたち。こんな会話があったそうです。
「Mせんせい、Mせんせいは、どうしてこおり鬼好きなが?」
「え~、だって楽しいからよ。」
「ふ~ん。」
そのときは、変わった人ね、ぐらいの勢いだったらしいですが、なんと次の日、「こおり鬼が好きなMせんせい」を見に来て・・・!そして、やってみた!!たのしかった!!
こんなふうに、せんせいのすてきに魅かれて、新しい世界に飛び込んでいく子どものすてき。
そして、この話をしたときのMせんせいの笑顔のすてき。
ほんとうに、嬉しそう。
いいね。
せんせいのすてき、ひとつ。
4 そして もう一つ
中堅に足をかけているKせんせい。
この日は、ドッジボールを水ラインで。
結構、盛り上がっているなあ。と見ていたら、Kせんせいが、ラインを引き直しました。縦に広げています。
この日は、県の研修で講師のYさんがいらしていて、
「なぜ、あの線を引き直したんですか?」と尋ねたところ・・・、
「ボールがよく(のびて)飛んでいて、追いかける距離が長くなったので、
人数が増えたら、横で、ボールがよく飛んでいるから縦に伸ばしました。」
なるほど。
というか、そこまで育ってくれたか、Kせんせいよ。
予想を上回っていく、せんせいの育ち。
子どもと一緒。
場を見て、状態を診断して、環境の次の手を考える。
プロの動き。
せんせいのすてき、もう一つ。