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せんせいのすてき
毎日踏ん張り頑張る先生たちのすてきを綴っています。
2025年3月23日
将来の夢 つづき

ところが。

 

今年、ある小学校の卒業式では、その夢が語られなかった。

統計を取ろうとしていた私にとっては、とても残念なことであったが、

子どもの心に寄り添おうとした結果であろうと感じた。

 

なぜ、夢を人前で語らなければならないんですか。

夢とか、ありませんけど。

 

というところが、今の小学6年生ではないだろうか。

全て想像であるが、

一つ目は、プライバシーの問題、

二つ目は、イメージのなさが要因であろう。

 

今の子どもたちは、知覚過敏なところがある。

体験不足で触覚が鍛えられておらず、いろんな物に果敢に触ることができないので、

いろんなことに臆病である。

自分をあからさまにするような危険は冒したくない。

それに、プライバシーを明らかにせよと指示する、

あるいは期待する大人全般を、信用していないということもあるだろう。

また、夜遅くまで電気を浴びるので、思春期が早まっているという説もある。

要するに、

 

そんなこと人前で言わせんなや。

私の勝手やん。大きなお世話やし。

 

というわけである。それはもっともよね。

 

それともう一つ、ずーっとほぼ教室か部屋の中で過ごしているわけだから、

大人の営みを見ていない。

また、生活経験がないので、あらゆる物事にはそれに至る過程があることを知らない。

いつも製品(あるいは商品)という結果だけを見ているので、

それがなぜ、どうしてあるのかということについて、

考えるような視点を持っていない。

それで、どうやって夢を描くわけ、

というわけである。

 

そういうわけで、権利主張と無気力さでもって、

無言の抵抗をした思春期入り口の皆さんだったのではあるまいか。

(全部、想像ですけど。)

そんな子どもたちを受け入れたのは、

ある意味必然だったのではないかと思われる。

 

ちなみに、名前を呼ばれた時の返事は、非常にか細く、

マイクが用意されていたほどである。

自分の名前を呼ばれてきりっと返事ができない。

その繊細さと過敏さに、大人として何ができるのかと思う。

 

一方で、こんな繊細な6年生をふがいないと思ったのか、

卒業生を送る5年生は、とてつもなく声がでかかった。

うーむ。

こうやって、人はバランスをとるのか?

出番になって起立したときも、あんまりにもザンッと勢いよく立ったので、

我々来賓は、みんな地震と間違えたほどである。

 

そして、最後。

5年生と6年生が小山薫堂の「ふるさと」をうたった。

上のパートが6年生である。歌が長かったのがよかったのだろう。

最初は小さかった6年生の声が、次第に美しく力強く響き始めた。

それは、どんどんと確かなものになり、どんどんとまとまり、

未来への期待と5年生へのエールを象徴しているかのようであった。

 

そうして気持ちを合わせていく子どもたちの声は、

とても美しかった。

 

卒業生の皆さん、おめでとう。

中学生代表の祝辞は、本当に心のこもったものでしたね。

 

みなさんの前途が明るく希望に満ちたものでありますよう、

子どもの初めての社会の場である幼稚園より、

心から、お祈り申し上げます。

 

 

 

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