じゃぁ、囲っちゃえばいいんじゃないの、説もある。
他の土と混ざらないし、そこで遊ぶと決めればメンテナンスの大変さは軽減される。
だが、それはおもしろくないのである。
「囲う」ことで失われるのは遊びの広がりと自由さである。
先日の雨上がりの日は、土がふやけて最高だった。
先生たちもそれを感じて、のっけから裸足であった。
いつものどろんこ工場は、自然に拡大されて、伸びやかに広がっていった。
そして、お化け追いかけっこが始まった。
これは、「囲う」ことでは生まれない遊びの豊かさである。
子どもは、太陽が当たる場所と当たらない場所の温度の違いを足裏から感じ、
「違うね。」と先生につぶやいた。
そして、雨水をつぷんと足首まで感じて、笑顔を見せた。
そして、パシャンという音を楽しみ、先生にどろをぶつけて笑った。
どの子も、腰や背中、足元をねらっていて、
礼儀は守っていた。
私は、コンタクトであることに一抹の不安を感じながら、
全力でそこに入りたかったが、お休みの先生の代わりに担当が2歳だったため、
非常に低エネルギーで、2歳さんの泥との出会いを支えていた。
2歳さんは、一つ一つの出会いが、まっこと楽しそうであった。
そんなわけで、どろんこアイスを30個くらい作った。
こんな笑顔が開くなら、こんな遊びの豊かさが生まれるなら、
日々のメンテナンスはやるしかないわけであった。
環境の構成のすてき。