一人ひとり、見ている世界が違い、
一人ひとり、そこで抱く思いが違う。
ということが、幼児期にはよく見える。
ある子は、「夢を語る」ということが、心に入らなかった。
「夢って何ですか?」
ということかもしれない。
今を生きる子どもたちにとって、
将来という枠組みは、理解し辛い。
何かに着目して、それに自己像を重ね合わせて、
初めて、「大きくなったら、~になりたい。」と言えるようになる。
今年は、結構に決まらない子がいた。
まぁ、真剣に考えてしまうと「分からん」で当然である。
ほとんどの子どもは、かっこいい、すてきと思うもの、
およびお友だちと一緒というように、
パティシエとかサッカー選手など、気軽に、
あるいは、そのときの本気で選ぶ。
それで、決まらない方々は、
「何を言われているんだろう、僕は。」から始まり、
「大きくなったら、って言われても・・・。」ととまどい、
「仕事って何があるんだろう」に至り、
友だちの言っていることに注目し、いろいろと考えてみるも、
しっくり来るものが今一見つからず、
そういうわけで、本番3日前くらいにようやく決まるというパターンであった。
そこから、「えっ、これをみんなの前でいうわけ!」ということになり、
「緊張する~。無理~。」となり、なんとか個人錬を経て、
本番は、まったくその悩みを感じさせない出来上がりを見せたのであった。
そもそも、何故それ?
というところで引っかかるのは大事じゃないだろうか。
そこに、丁寧に合わせていくと、
その子に、新しい何かが開ける。
子どものすてき。