雨が降った後の朝の幼稚園。
テラスにミミズがウニョウニョと出てきて、
気づかずに踏まれて、何匹も死んでいる。
そこで、朝の救出作戦とばかりに、ミミズ取りがはじまった。
なんか、集めているとラーメンかもずくに見えてくる。
それを見た2歳のTちゃんが、
「いや~!」と顔をそむける。
そのうちに、ギャーギャーと泣き始めた。
その泣き方が、とても自己主張に溢れていたので、
私はこういった。
「Tちゃん、ちょっと待ってや。
ミミズはね、おいしい土を作ってくれるの。
だから、とってもおいしいお野菜ができる。
お花も元気になる。Tちゃん、お野菜食べられるようになったでしょ。
ミミズのおかげよ。
そんな大事なミミズを、そんなに嫌わんとってや。
なんなん、もう~。」
そういうわけで、泣いている2歳児に共感するより、
逆切れる園長ドウモトマミコ。
すると、Tちゃんの音量は下がり、そうきた?とフェイドアウトする。
そして、私たちはTちゃんに構わずミミズ取りを続けた。
しばらくすると、ふっと私の手をつないでくる子がいて、
見るとTちゃんだった。
彼女は、じっとミミズの様子を見ていた。
感覚の暴発から、知的な何かが生まれたかな?
共感よりも価値観を伝えることの方が大事、
という事例である。
子どものすてき。