園長ブログ

せんせいのすてき

若草幼稚園は最高の幼稚園。

なぜかというと、20代から70代まですべての世代にまたがって、先生がいるからです。

若さもすてき、年寄り最高。

幼稚園の先生と言えば、「子どもたちが帰ったら何してるんですか?」 、これが何十年も変わらない質問です。

これに対して、いつも、「う、」 と黙ってしまう私たち。だって、いっぱいありすぎて、一言では言えません。

子どもを心からかわいいと思い、踏ん張り頑張る先生たちのすてきを綴ってみます。

2015.09.01

境界線 

 

以前、遊び論について学んでいるなかで、

そのときは、何とも理解できなかったのに、

ずっと頭に残っている論文があった。

それは、著者が幼いころ三輪車に乗って、

果てしのない旅に出た気になった情景が書かれており、

そこからその論は、旅の話になった。

初めて読んだ時、その幼いころの情景の件が強烈に印象に残ったことと、

なんでこれが遊びの論文?と思ったことだった。

それでも、ずっと頭から離れなかった。

今ようやく、あの論文が理解できそうである。

 

遊びとは、境界線を自分自身がつくるものだということではあるまいか。

その観点からいえば、幼稚園というところは、非常に分が悪い。

 なぜなら、囲っちゃってるから。

私はいつも、それが出発点だと思っている。

幼児教育は囲うことから始まる。

もっとも、それに敏感なのは新入児である。

連れて来られて出られない場所が、

来ることが楽しみになって、

ここで過ごすことが当たり前になるよう、

願い、そのためにどうすればよいか、いつも先生たちと考えている。

 

だが、ここはやっぱり幼稚園である。

本質的な意味合いにおいて、「遊び」という概念はそぐわない場所なのかもしれない。

それでも、「遊び」という言葉を使いますがね。

ある意味でのメッセージを込めて。

まぁ、ここから出たら、子ども、車にはねられますし、

速攻、迷子になって、泣くことにもなりますしね。

 

話は変わるが、私が今年参観したある幼稚園は、

大学の附属幼稚園で、とても有名な建築士監修の幼稚園だったが、

年少さんは、園庭に出るときに、自動ドアを通らなければならず、

そのドアのボタンは、幼児の手にはぜったい届かないところにあった。

 

私の価値観では、それは有り得ない。

しかし、ある一般人にしてみれば、それはごく当たり前のこととして、

受け止められるらしい。

こんな感覚と戦わんといかんのか、と正直うんざりした。

 

 

内と外の境界線が緩やかであるといいね。

実際の環境として、町ではちょっと難しいけれど、

せめて、人の心の境界線が、バチンバチンとしてないのがいいね。

 

境界線。

いろいろあるね。ないのにあるとか。

どうやったら、飛び越えられたり、

新たな方法が見えたりするのかなぁぁ。

 

幼児教育、難しさのすてき。