先日、ある大学の附属幼稚園を参観した。
そこは、遊び保育を徹底してきた公立幼稚園の文化が色濃く反映されており、
大変に懐かしかった。
附属だから、大学生も勉強に来ていた。
意味不明に玄関奥で片膝をついて座っていたが、
居る場所がわからない学生にとっては、
いつでも動けるようにスタンバイしている、精一杯の姿であった。
ある年少さんのクラスで、
女の子が自己主張的にワンワンと泣いていた。
「お母さんがいい~、」と泣いている。
その後は、「そんなことありましたっけ」とばかりにケロリと忘れて遊んでいたが、
実際ケロリなんだとしても、保育者として無視できるわけがない。
「そうねそうね、」と抱っこする。
その傍らで、なんと、紙ふぶきがばらまかれた。
登園して荷物の準備をして、これから何をしようかなというとき、
そのあとには、歯科検診を控えているこのとき、
部屋が混乱を極めようとしている。
保育者として「!」という出来事であった。
紙ふぶきを無邪気にここでばらまきたい心持ちは、
園が車の多い道路沿いにあり、空は高い建物で覆われていることと、
無関係ではないと私は勝手に思う。
しかし、今、ここで、そんなふうにしてもらっちゃ困るのである。
そこに、もう一人の大人がいた。
しかし、この人は、この出来事に対して全く無反応なんである。
隣の場所で、無邪気に子どもと会話している。
副担任にしては、あまりにどうよ、と思って見たが、
そうか、学生か、と思い当たった。
保育者か保育者じゃないかって、これなんだな、と思った。
担任の先生は、ワンワン泣きの子を受け止めながら、
なんとか、紙ふぶきの子どもたちを乗せて、
片付けに持っていった。
この抜き差しならない状況を無視できる大人は、
身体がでかいだけに、むしろ邪魔であった。
しかし、保育者は、保育者の免許をもらって、就職したからと言って、
保育者になれるのだろうか。
特に、今は大人が子どもを知らない。
子どもは、学校にいるから、大人の生活圏にいない。
だから、学校とかそんなところに行かなきゃ、子どもに会えない。
見て感じることができない子どもを、
勉強だけで分かろうたって、どだい無理なのである。
医者だって、どんな名医にも初めての手術がある。
だから、素人、素人に毛が生えた人を内包して、
現場は成り立っていくのであるから、仕方ないのである。
仕方ないが、仕方ないとは言ってられないから、
何で、支えていくかというと、チーム力なんである。
チーム力がしっかりしていれば、
若さという花が咲く。
これは、真似できん。
そんなこんなで、学生のうちから、
頑張ってくれなきゃいけないんである。
先生のすてき。