何があっても、そのときに大事にしてやらんといかん子がいる。
心が凍ってしまいそうになる手前に、なんとしても、それを溶かさなければならない。
愛がたくさんあっても、ズレは起こるものである。
保育者の愛は、保護者の愛とは質が異なるが、
また、大きな力をもっている。
それは社会の愛だといえる。
我々にできることは、包むことである。
担任の愛が何より大切であることは、言うまでもない。
担任の愛は、周りの子の愛を生む。
そして、その園にいる全ての先生の愛が、
自分が大切な存在である、という実感をその子に育む。
それは、ちょっとした保育者たちの日々のまなざしであり、
何かあった時の対処の仕方で伝わっていく。
とにもかくにも、保育者集団が愛で包むためには、
ミーティングはフォーマルにもインフォーマルにも、
非常に重要である。
子どもを語り、子どもを見る保育者集団の質が、
子どもの心身の健康を左右する。
ここに、多くの園の保護者の愛が加わると豊かに完成するが、
これは、またPTAという組織の在り方や園に対する参加の仕方に関わる部分で、
またの機会にしよう。
したがって、私がいいたいことは、
制度的にミーティングが必要だと認識して、
それをイメージして制度をつくってね、ということである。
まみこの主張。