最近、私は「仕事」に注目している。
子どもたちの心の枠としての「仕事」である。
それは、単純で分かりやすく、目的がはっきりしているものがふさわしい。
その意味では、単純労働が最適である。
そして、「ありがとう。」「ごくろうさま。」という最後で終わることが大事である。
そうすると、何でもいいわけではない。
私が花壇の花を植えるときは、子どもたちが「仕事をしている」というよりは、「仕事のお手伝いをしている」という雰囲気が強く、いらん行動を取ると、
「いかんいかん!」
「それするやったら、他で遊びなさいや。」
というダメ出しで、仕事モードを作ることが多い。
そこには、「これは、好き勝手に出来る出来事ではない、何らかのオフィシャルな価値を持った方法がある」ということを子どもに知らせる目的がある。
そんなわけで、花壇の手伝いをするときの子どもたちは、
非常に慎重であるし、真剣である。
めったにできないという希少価値もある。
今回、園庭改造の大プロジェクトがあるので、それを子どもと行う。
これは、本格的「仕事モード」になる。
暑い夏を乗り切るため、長年田んぼとして使用していたプールをプール使用に戻すことにした。
いつでも、体温を冷やすための環境づくりである。
そのためには、田んぼの土を移転する必要がある。
大人用の本物シャベルを使い、
子ども用一輪車に乗せて運ぶことを繰り返す。
なんと、1時間以上続いた。
子どもは働き者である。
こういう活動を好む子は一定数いる。
「やりがい」というものに深く心を揺り動かされたり、
目的がはっきりしていることに対する合理的な動きに、
おもしろさを感じる子どもたちである。
そして、午後もやりたいと職員室に交渉に来て、
次の日もぜったいやりたいと言ってきた。
それで、難しいと思われた整地もあっという間にできた。
ちょうど、担任の代わりに入っていた帰り、お当番の子どもたちが「今日の楽しかった遊び」などを発表することになっているが、仕事で活躍したRくんに、ステレオタイプに、「今日の楽しかった遊びは何ですか」と聞いてしまった。
それで、「え・・・。あそび・・・。」と止まるRくん。
「おおっ!そうやったそうやった。仕事仕事!
ごめんごめん。はい、お願いします。」
というわけで、「仕事が楽しかった」と発表したRくんだった。
あらためて、子どもの心にやりがいと機能的で合理的な美しさをもつ「仕事」の大きさを感じたことだった。
幼稚園教育要領に「遊び」という概念が登場して35年以上たち、未だ、「何のことですか」と内心せせら笑っている園が多い中、若草幼稚園は、「遊び」と同等の価値をもつ活動を模索し始めている。
子どもたちのすてき。