幼児教育の基本は、環境を通しての教育。
言語で脳みそが羽ばたけない子どもにとって、
目の前にどのような環境が繰り広げられていくのか、
ということは、非常に大切です。
その意味で、どんなものをどんなふうに、いつ置くのかということは、
保育の専門性が問われるところです。
先日、年少さんの担任の先生たちが、学年会が始まる前に、
「森に行って、赤土を取ってきます。」
とのこと。
今、子どもたちに必要なものを、今、調達。
その次の日には、砂では感じることができない、
滑らかさときめ細かさを楽しみながら、
土と木の実の美しいごちそうが並んでいきました。
そして、またある日の夕方、もう暗くなりそうな時間に、
「今から、森に行って木の実を取ってきます。」
と年中の担任の先生たち。
作品展に向かってスタートした、子どもたちの絵が光るように、
今、必要なものを、今、調達します。
採ってきた木の実は、桐の箱に入れて、ケーキのカップをしいて、
とても雑草とは思えない演出が施されます。
一つ一つが、魅力的で、美しい。
子どもたちは、その一つ一つを手にとって、
土絵の具で描いた自分の絵に、丁寧なしぐさで装飾していきます。
自分の描いた線を壊さない塩梅で、飾られる木の実たち。
ほんとうに、すてき。
保育の今に掛ける、先生たちの思いが、
子どもの創意工夫にあふれた動きへとつながっていきます。
教材へのせんせいの思い。
せんせいのすてき。