なんであろうか。
この日は、子どもたちの発話にゲームが目立った。
「今日、朝、怒られたで。
ゲームやめんかったき。」
「僕ね、○○のゲーム持ってるが。
それで、○○△△□□・・・。」
「私ね、お父さんがゲーム好きやき、
ゲーム、買ってもらったが。」
「ちょいと! みんな。
ええ加減にせんと!
脳みそくさるで!!」
と、草引きも忘れて叫ぶ。
最近、富に思うことであるが、
遊びを営む保育者は、
同時多発的に展開している遊びの、
刻一刻と変化している状況を読みとり、
適時、妥当な援助を繰り出す能力を必要とする。
まぁ、一般の職場でも、その場の状況において、
何か「気がつく」人間が、有能であるとされるだろう。
だがしかし、およそ遊びのない幼児期を過ごし、
その後の小学校から大学まで、およそ15年以上、
一日の大半を、椅子に座って、前を向いて、話を聞けと言われ続け、
自由な時間と言えば、液晶画面しか見てこなかった人間に、
いきなり就職したら、まわりを見なさい、気づきなさいと求めること自体、
酷な話である。
年長さんに、小学校の準備を求めるより、
小学校が、あと1、2年、うちみたいな幼児教育やったらどうですか。
遊びのすてき。