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日々わくわく
せんせいのすてき
毎日踏ん張り頑張る先生たちのすてきを綴っています。
2022年1月20日
ゲームをめぐる親子の戦い

 

子どもの生活を凌駕するゲーム世界。

大人は危惧しつつも、子どもの「夢中」にまつわる利便性と、

子ども文化へのスムーズな参加を配慮して、

それを与えている。

 

与えるか与えないかは、大人の選択だが、

その選択は、どこか個人の問題に帰することはできない面がある。

 

利便性とは、子どもが静かにするので時間ができる、であり、

子ども文化への参加の配慮とは、友だちの輪に入れないのは困るだろう、

という親心である。

そして、現実は子どもの夢中が手に負えなくなる、であろう。

 

そもそも子どもは、なぜ、ゲームに夢中になるのだろうか。

自分の指先の操作だけで、ある(電子刺激による強い刺激を伴う)結果が生まれ、

それは、往々にして破壊や撃墜や殺人による優越感を伴い、

次々と設定される関門を「クリア」するという形で、

世界が変わるからではないだろうか。

楽に「やった」という刺激が脳みそに秒単位で与えられ、

その自分の操作の集積によって世界が変わる、

ということが、子どもの夢中を引き出しているように思える。

仮想世界で、世界をアゴーンの楽しさによって変える喜び、

これがゲームである。

 

私は息子たちに、総じていえば、ゲームを与えなかった。

 

他人の脳みその中で遊んで、何が楽しい。

ゲームは、他人以上にはなれん。

 

というのが、持論だった。

 

だが、上の子どもは、子ども文化への参加をもくろみ、

親をだまし、あの手この手で、それを手に入れようとした。

そして、とうとう根負けして、中学1年の誕生日に買ってやった。

子ども文化の主流に参加できないのは、それなりに苦しかったろう。

よく、「うちの親は明治なんだよ!信じられねぇ!」と息巻いていた。

当然かもしんないが、約束のゲーム時間を守らなかったので、

すぐに取り上げた。

すると、また、あの手この手でこっそり中古を手に入れていた。

今思えば、父親は自分もゲームをしてきたので、

息子を不憫に思い、隠れて協力した節がある。

そうして、私のため息を尻目にゲーム世界に一直線!

というある日、こけてそれをぶっ壊した。

 

ざまぁみろ。

 

つづく

 

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