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せんせいのすてき
毎日踏ん張り頑張る先生たちのすてきを綴っています。
2022年1月20日
ゲームをめぐる親子の戦い つづき

 

というわけで、ゲームにまつわる親子の戦いは収束した。

ちなみに携帯を与えたのは、高3のときである。

これについても、「明治」と言われた。

下の子は、学校に行かないのでコミュニケーションツールとして、

高1から渡している。

それで、制限をかけていることに文句を言う。

友だちにも、お前の親はおかしいと言われているらしい。

なかなか、教育方針の実現は難しいもんである。

 

下の子は、ゲームについて上の子と親の戦いを見ていたので、

無駄な戦いを回避して、じっと我慢していた。

そして、中学生になったとき、「当然ですよね」という雰囲気で、

要求してきた。

上の子に買ってやったので、仕方がない。

とりあげていた3DSを彼に渡した。

だが当然、彼もゲーム時間を守らなかったので、

ある日、私はブチ切れて、それをトンカチで叩き割った。

あきれた息子は、それであきらめた風を装っていた。

 

結局その後どうなったか忘れたが、一つ言えるのは、

ゲームにはまらなくて済んだ、であろうか。

はっきり言って、ここまでする必要は全然ない気がする。

よかったかどうかも、さっぱりわかんない。

私自身が、テレビは1週間で30分だけという教育方針で育ったことが、

もっとも大きな理由かもしんない。

ある研究結果によると、1時間でゲームをやめられる子が、

もっとも成績がよいらしい。

自立心と自律心を兼ね備えている証拠だろう。

 

先日、写真家の篠木さんと電話していて、彼がこういった。

 

ゲームの世界では、どうやっても自分は主役になれない。

だけど、薪が割れただけで、「やった!」っていう主役になれる。

 

これは名言ではなかろうか。

自分の操作で結果を起こすのは、媒体であるゲームのキャラである。

そしてそれは、他人がプログラミングした世界の枠内から出ることはない。

だが、薪を割るのは、心が連動した自分と言う身体である。

ここにある「実感」は、大地に根を下ろしている。

秒単位で次々と「快」を得ることはできないが、

深々と自分。

 

どうすればいいですかね。

どうすれば、ゲームという麻薬から、いったん子どもを解放できますかね。

 

警察の生活安全課で多くの少年少女を見てきた方が、

ゲームが2番になれば大丈夫、1番を見つけることが大事、

と言っていた。

ここ、大事かも。

そうすると、0、1、2歳は、めちゃめちゃ大事ですね。

テレビと動画、頼むからずっと見るのはやめてほしいです。

すでに、その功罪が子どもたちに見える。

頼むからやめて。

ティッシュ箱一つで無限に遊べるのが子ども。

 

とにもかくにも社会の課題。

 

 

 

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