私の父は、2年前に脳こうそくで倒れ、
しゃべることも、動くことも、できなくなった。
まだ、72才。
家にもどってきてからの一年で、お昼ご飯だけ、
離乳食のようなものを食べることができるようになった。
母と妹と私の3人で介護にあたっているが、
密度や段取り力その他で、われわれにも役割分担と言うものが自然に生まれていった。
看護士に例えると、諸々の能力を鑑みて、妹が士長で母が主任、平が私である。
ちなみに、平が一番えらそうであるところが、みそである。
この間も、お茶を飲ませるときは、
こうこうでこうこうこうで、こうこうこうこうと母が言うので、
「そんなもんわからん、それはいつものときに主任がやって。」などという平である。
しかしながら、平は淡取りの名人でもある。
しかしながら、リハビリにもっともやる気がない。
日曜日のお昼、私は父に昼食を食べさせる。
作るのは母か妹である。
この時間に、なんとNHKラジオで「のど自慢」をやっている。
これに現在はまっている私と父である。
それにしても、県民性というものは出るもんだ。
先日の、長野県はめっちゃ上手やった。
「お父さん、どこやったっけ、めっちゃへたやったところあったよね。」
というと、
「んー。」
と相槌をうった。
おぉ。覚えてた。
九州の・・・、どことは言うまい。
きーん、こーん、という鐘に、
「えー、なんでよ。」
とか、
きんこんかんこんきんこーん、と鳴ると、
「おぉ。やっぱりねー。」
と私は一人しゃべり、父は黙っている。
そして、リハビリも兼ねている食事を頑張る。
ときに、詰まらせたりもする。
そうして、父と私の静かな時間が流れる。
幸せとは何か、さっぱりわからないが、
父と共に、死の際を戦ってきた私たち。
そして、今を生きる父。
とりあえずの安心で包まれている私たち。
静かな時間。
幸せのかたち。