年中さんは、うだうだの時期である。
保育者もけっこう悩む。
自分たちで意思疎通が図れそうで、図れないし、
やりとりを生めそうで生めない。
思いつきは、バンバン湧く。
お互いが言いたいことを言うので、脈絡を失い、
何やってるか、そのうちわかんなくなる。
そして、その原因を究明する知性もなければ、
その問題を言語化する知性もまだないために、
気がついたらその場所にいない、遊びが消えた、ということが多々ある。
そもそも、そうした問題を自覚して、解決しなければならない、
と思わない。
なんとなく、つまらないなぁ、で終わる。
しかし、思いつきを話す様はとても幸せそうだ。
ある意味、年少のときに、どれだけ、
友だちと身体レベルでノリの合うおもしろさを、
経験しているかがモノをいう。
だって、会話の中味よりも、口調とか、
私たち何かおもしろいことやってるよね的な結界が生むノリが、
おもしろいんだもの。
結界を張れるのが年中であり、
その結界がいつのまにか壊れてますね、というのが年中である。
ここで保育者は、さりげない情報の中継地点にならなければならず、
そうねそうね、と話を聞いてやらなければならず、
子どもの実にさまざまな葛藤に付き合ってやらなければならず、
さりげなく空間も整えてやらねばならず、
結構ご苦労である。
さて、ごっこは、現実社会を投影した構造をもつと楽しくなる。
自由で奇想天外であることは、とても楽しいことだが、
すぐに霧散するというデメリットを持つ。
そして、やりがいもあまりない。
つづく。