やっと、ごっこ遊び③です。
ごっこ遊びは、現実社会を反映した営みの構造を持ってくると楽しくなる。
例えば、レストランごっこ。
店員さんがいて、商品があって、売る場所があること。
すなわち、ふり見立て、モノ見立て、場所見立て。
この3つの見立てが構造化されると、
ごっこはやりがいのあるおもしろいものへと発展する。
よくいう、遊びの発展とか深まりと言うのがこれである。
店員さんがお客さんを呼んで売る。
おいしそうなスパゲッティを毛糸で作り、紙粘土でクッキーを作る。
回転ずし屋なら、廃材や折り紙などを駆使して寿司を作る。
テーブルと椅子をセッティングし、内装を考えて、看板を作る。
見立てはいろんなふうに、工夫される。
遊びのトップ、すなわち落ちどころは、やりとりである。
売る、買うが節目である。
アイドルのダンスごっこなら、お客さんに見せるところ。
そのために、舞台や客席や衣装やチケットなど、
「らしく」なることを追求する。
つまり、トップに向かう道のりに、いかに試行錯誤があるか、
思いつきを出し合い、共有し合う過程があるかが、
遊びの楽しさに相関する。
だからといって、保育者が、遊びの楽しい「かたち」を、
先にイメージして導いてしまうと、やりがいが深まらない。
そして、子どものイメージが出る先をつぶしてしまう。
保育者の「こうするとおもしろくなるな!」という思いつきは、
あなたのものであって、子どものものではない。
だから、子どもがあなたの提案に対して、
拒否権を発動する関係を築けているかは、非常に重要な要素である。
また、難しいところかもしれないが、
トップのやりとりを楽しんでいるのに、よけいな提案をして、
やる気をつぶす、ということもよくある。
年少さんや年中さんのはじめは、
それでいいんである。それで。
とどのつまり、保育者が見るべきは、雰囲気である。
雰囲気を具体的に言えば、目と手が協応していること、
そして、子ども同士の発話や動きに、同調性があることである。
これが見える間は、特に援助は必要ない。
しかし、なんとなく、「浮いてる」感じになってきたとき、
次の手が必要である。
これについて、今いちわからない人は、
遊びを診断したことがない人である。
仮に保育者なら、精進したまえ。
そのときのために、保育者は、遊びの質と様態を見ておいて、
すなわち、ふり見立て、モノ見立て、場所見立てのどこから、
おもしろさを誘発できるか診断して、手を打つのである。
ここにおいて、子ども一人一人のキャラがどう絡み合っているかも
見ておかなければならない。
特に、それぞれの子どもの自己発揮の具合や、
遊びの主は誰なのか、そして、誰が混乱させているのか・・・。ふふ。
ともかく、自分の思いつきを思いついたままいうのではなく、
(それは、身体の大きなおせっかいやろうである。)
戦略として出すのが、プロなんである。
なんだか、思いついて楽しい~、どうどう?では、
一緒に遊んでいるお姉ちゃんと変わらんのである。
この戦略は、長い時間幅を持つ。
一日から、数週間へと戦略には時間幅がある。
子どもの発達から言えば、一年と言う視座もある。
うーむ、保育という海が深まってくるね。
というわけで、とりあえず、ここまで。