子どもは、言葉の世界にまだおらず、
感覚の世界にいる。
自分の思いも、はっきりわかるわけではないから、
言葉にするのはとても難しい。
夏休みにたくさんできたであろう思い出についても、
原稿用紙30枚は書けるであろう体験も、
はふはふ言いながら、
「あのね、動物園に行ったが。」
である。
その、短い言葉を一生懸命発する様子から、
何かすごく心を動かしてきたのだろうなと推測する。
保育者は、子どもの言葉にならない思いを読み取り、
くみ取ることが求められる。
おそらく、最も必要とされる専門性である。
しかし、子ども理解は、自分と言う器でしか為しえないために、
非常に難しい側面を持っている。
先日も、深く反省すべきできごとがあった。
考えてみれば、そんなことだらけではないだろうか。
わかってもらえないのは、つらいものである。
伝える機会や方法が合わず、せめて態度で示そうとしても、
一向に伝わらないと、激しい失望感と徒労感で満たされる。
相手が、別の境地に住んでいると、もうお手上げである。
子どもは、どうだろう。
われわれは、プロであるから、お手上げにするわけにはいかない。
わかったところから、最善を尽くすしかない。
個人の至らなさは、チームで乗り越える。
保育は厳しい世界。
保育のすてき。