今、地域の中学校がなかなか大変なことになっていて、
授業参観に行ってきた。
息子のクラスは、わりに落ち着いているらしいが、
それでも、ずっと、寝ている子がいた。
その子の笑顔は愛らしく、自己肯定感は持てていないようだったが、
類まれな手先の器用さと集中力を持っている子だった。
ただそれは、中学校の授業中には、認められない行為だった。
幼児教育の場なら、真っ先にそこに感動し、
「すごいね。」と声をかけることだろう。
ここは、子どもの興味関心から、世界を広げる場である。
他のクラスは、もっと深刻らしい。
教育現場において、もっとも恐ろしいことは、
本人が自分をあきらめて、まわりもあきらめることである。
どっちが先かはわからないが、
とにかくこれは防ぐべき問題だろう。
来年は、6クラスが4クラスになり、1クラス40人になるという。
それに伴って、先生の数も減る。
今の状況で、4か月後には、40人を1人で・・・。
緊急学年保護者会では、一気に心配の緊張が高まったようだが、
それは当然だろう。
とにかく、先生の数が足りない。
これが、参観したときの率直な気持ちだった。
おそらく、小学校でもそうだろう。
ただ、参観していて嬉しかったことがあった。
在園中に、そうとう手を焼いた卒園児たちが、
実に落ち着いて授業を受けていたことだった。
人生で最初に所属する社会で、愛されて育つこと、
自分はかけがえのない存在なのだと思えることが、
何よりも大事なことではないだろうか。
中学校の問題が中学校だけの問題とは言い切れない。
また、教師の愛が十分に伝えられる環境というものこそ、
大切にされるべきである。
保護者の方々は、本当に無償化を求めているだろうか。
それよりも何よりも、
子どもが過ごす場所が、安全と安心に包まれていることが、
一番重要ではないだろうか。
現場は、悲鳴をあげている。
どうか、無償化よりも教育環境の整備と充実に、
心を向けてほしい。