カフカの「毒虫」では、毒虫になった兄は、
いつしか、家族にとって「毒虫」以外の何物でもない存在へと、
かわっていく。
どんなに愛する家族でも、
どれだけ魂が通じていたとしても、
現実が凌駕していくのだという、
そんな小説であったと記憶している。
父は、4年前に脳溢血で倒れ、
自ら動くことも、話すこともできない存在となった。
我々は、およそ不可能と思われた自宅での介護を、
この4年間、続けていたが、
その間、我々の父への愛は、一切変わることがなかった。
肉体は、彼を縛る牢獄であり、生きる意味を見出すには、
相当の苦労が必要だった。
母は、父にエネルギーを注ぎ、
妹は持ち前の気配りを発揮し、あらゆる快適な環境を整えた。
父は、その心に応えて、頑張ってくれた。
私は、限られた時間のなかで吸引の名人となり、
共にいられるときは、そのままの時間を過ごすことを心がけた。
父と我々をつないだのは、「触れ合う」ことだった。
彼の手をにぎり、話しかけ、足をマッサージし、
爪を切ったり、吸引したり、いろんなふうに触れ合うことが、
確かなつながりを生んだ。
何故、父は、「毒虫」にならなかったのだろう。
私は、カフカの小説に真実をみていたから、
それをずっと考えていた。
その答えは、無償の愛というものだろう。
父は、私たちに一切見返りを求めることのない愛を、
ずっと注いでくれた。
愛は、細胞に染み入るものであり、
この身体と心を動かすものであることを知った。
最後の入院は、病院との戦いだった。
個人の資質もさることながら、それを支える組織の在り方に、
園長として、考えさせられた。
そうして、みるみる弱っていく父に、
せめて最後は、穏やかに旅立ってほしいと願い、
延命治療をやめて、自宅に帰った。
自宅では、お世話になってきた看護師さんが涙で迎えてくれ、
ヘルパーのみなさんも、ずっと「することがあるかもしれない」と、
待っててくれたそうだった。
妹と2日、寝ずの看病を行い(実際には寝たが)、
父も我々も、安心できる人たちに囲まれ、
4年と2日の闘病生活を終え、父は他界した。
命が、少しずつ、少しずつ消えていった。
そして、時折、子どもの声が聞こえた。
保育者は、仕事として子どもと過ごしている以上、
守るべき距離がある。
それでも、あまりにも美しく輝いている命に、
そのままの愛を注ぎたいと思う。
給料をもらっている以上、無償ではないが、
心の在り様は、そうであるよう、過ごしていきたい。
父のように。
命のすてき。